ジョニー・エースの必殺技と言えば、初来日時から得意としていたエースクラッシャーでしたが、当時はエースクラッシャーが今の様に世界中に普及する遥か前で、エース自身の実力もまだまだ伴っていない事もあり、自分よりも格上の選手を仕留めるには、いささか説得力不足の技でした。
その後のエースは、スティーブ・ウィリアムスと組んで ドクターボムを身に付け徐々に格を上げて行き、1997年から使用を始めたコブラクラッチスープレックスは普通に四天王からもフォールを奪えるほどの必殺技として 周囲から恐れられていました。
そこから1998年には、更にメキシカンエースクラッシャーを初めとする様々な各種エースクラッシャーも状況に応じて使うようになり、この頃になると世界タッグ奪取、三冠ヘビー級挑戦など・・・少しずつ新たな技を得る度に、地道に格を上げていったエースは、トップグループとも互角に戦えるポジションに収まっていました。
特にコブラクラッチスープレスは驚異の必殺技だったので、例え相手が三沢光晴や小橋建太だろうと、これが効果的に決まれば勝利する事が出来るので、エースの更なる格上げも期待されていました。
そんな中で1998年中頃に、外国人の復権と世代交代を求めて ムーブメントというユニットを結成したエースは、野望を達成する為に更なる必殺技の開発に着手します。
それがジョニースパイク
エースのキャリアで最後に編み出された必殺技です。
フロントネックロックの体勢から、相手のタイツを掴んで水平になるまで相手を持ち上げ、そのまま後方に倒れこむ形で、相手の頭 あるいは前頭部をマットに突き刺す変形の高角度DDT。
初公開となった世界最強タックで、いきなり三沢光晴を撃破して 新技の破壊力を見せつけます。
数あるエースの得意技の中でも、恐らくジョニースパイクは、トップクラスに位置する強力な技。
しかし当時のエースは上位陣には食い込んで来た物の「三冠奪取、チャンピオンカーニバル優勝、外国人トップ」には一歩届かない微妙なポジション。 そんな中で新技で三沢を完璧にフォールしちゃうもんだから、新ユニットを立ち上げた事も有り エースへの期待は高まっていきました。
なんせ、当時の外人エースであったスタン・ハンセンは、既に全盛期を過ぎ 力も衰え始めていた頃で、エースは今まで勝てなかったスティーブ・ウィリムスや、ゲーリー・オブライトら格上の外国人選手をもシングルで撃破していたので「いよいよエース時代到来か!?」と思われていた頃です。
でも結局はベイダーの全日本参戦で、話題とインパクトを全て持っていかれ、哀れエースは元の微妙なポジションに収まってしまい、ベイダーとのシングルにも敗れるなど、ベイダーの下に甘んじてしまいます。
いくら頑張ろうが勢いを増そうが、既にそれなりの”格”を持っているニューフェイスには勝てないのかな?と悲しい現実を突きつけられた気分でした。
結局エースは全日本分裂のドタバタ後に、いつの間にか引退してしまうと言う顛末・・・
思えばムーブメントを立ち上げ、強烈なジョニースパイクを開発したあの時が、ジョニー・エース最後の大ブレイクのチャンスだったかも知れません。