ザ・グレート・サスケのウルトラ・ウラカン・ラナ

ザ・グレート・サスケのオリジナル技にして最上級のフィニッシュホールドであるウルトラ・ウラカン・ラナ

 

エプロンサイドからトップロープに飛び乗り、スワンダイブ式でリング上の相手の肩に飛びつき ウラカン・ラナを極めるという難易度は高いですが完璧に決まれば、非常に美しい技。 

今でこそ もっと難易度の高い技も世に出ていますが、1993年にサスケが ウルトラ・ウラカン・ラナを初公開した時には、かなりの驚きでした。

 

スワンダイブからウラカン・ラナに繋げる・・・このムーブが当時は非常に新鮮であり「こんな事が出来るのか!!」と言う大きな驚きがありました。

当時のサスケは、日本マットでもトップクラスの空中殺法の使い手だったので、サスケに相応しい技と言えますが、それだけの技なので、普段は滅多に使う事は無く 大一番でのみ使用するサスケの最強の奥の手。

相手の意表を突きながら、超高速で決めるので完璧に決まれば相手は完全に虚を突かれるので、極まれば勝率100%の技。

 

それまで苦汁を舐める事の多かった宿敵のスペル・デルフィンからUWA世界ウェルター級王座を奪った時の技も、覆面ワールドリーグで敗れている強敵コンビクトにリベンジしたのも ウルトラ・ウラカン・ラナでした。

この当時のサスケは、全国的にまだまだマイナーだったので、知名度は低い時代でしたが、そんな背景があっただけに1994年に結果的に、サスケが全国的に飛躍するキッカケとなった第1回J-CUPでは、どこで ウルトラ・ウラカン・ラナが繰り出されるのか・・・その点が物凄い楽しみだったのを覚えています。

エル・サムライは、順当に1回戦を勝ち上がれば シードのサスケと激突する事になるので、そこで ウルトラ・ウラカン・ラナで、サスケが勝利すると予想していました。

 

失礼ながらサムライなら 当時無名のサスケに負けても違和感は無いし、準決勝で当たると予想していた獣神サンダー・ライガーには流石に勝てないだろうから、ウルトラ・ウラカン・ラナが出されるならサムライ戦しか無いと思った訳です。

しかし 完全な予想外の結末で、サムライには普通の丸め込みで勝利して、準決勝でライガーとの対戦になったのですが、さすがにライガーに勝てる筈は無いと思っていたので、決まれば必勝のウルトラ・ウラカン・ラナが出る事は無いと思っていたのですが・・・・ライガーのパワーと強さに終始劣勢だったサスケが試合終盤に狙ったのは、最後の奥の手ウルトラ・ウラカン・ラナ!

これが決まればライガーと言えども返せないだろうから サスケ勝利!!の流れでしたが、ここでも予想外の結末が・・・!

 

いつものみちのくプロレスのリングとは違った為か、何とサスケがロープから足を踏み外してしまい リングに転落してしまうと言うアクシデントが発生してしまったのです。

ウルトラ・ウラカン・ラナは確かに難易度の高い技ですが、サスケがこの時点でこんなミスをしてしまうのは、普段では考えられない事でした。

新日本のロープはクルクル回ると言っていましたが、これ程の高度な技になるとリングの造り一つで、技の成功に大きく影響すると言う事ですね。

 

この失敗で勝利を確信したライガーがパフォーマンスをしている間に、すぐさま起き上がったサスケが電光石火のフランケンシュタイナーを喰らわせ まさかまさかの奇跡の大逆転勝利。

この結果により J-CUP決勝進出となり準優勝を果たした事で、一躍プロレス界のニューヒーローとなり、サスケとみちのくプロレスの名前は、プロレス界に広く知れ渡る事になりました。

 

もしも あの時 ウルトラ・ウラカン・ラナが決まれば、そのまますんなり綺麗に勝利してたかも知れませんが、結果としては技が失敗に終わっても試合を諦めない執念が、Jr.ヘビー級の象徴からの勝利と その後のサスケの大躍進に繋がったので、失敗こそしましたがあの場面でのウルトラ・ウラカン・ラナが全ての結果の起点になっていました。

あそこで失敗したからこそ、ガムシャラに勝ちに行くインディーの意地と泥臭さが垣間見えたので、あくまで結果論なんですが あの局面での ウルトラ・ウラカン・ラナ 失敗は良かったと思っています。

 

だから 有る意味では、ウルトラ・ウラカン・ラナは、サスケの運命を大きく変えた技だとも言えますね。