超世代軍初期の頃からの菊池毅を見ている人には、菊池の技と言えばジャーマンスープレックスの印象が強いと思いますが、1994年に入ってから編み出した火の玉ボム。
これもジャーマンと並ぶ 菊池の2大必殺技です。
背後からのボディスラムの要領で肩と股を抱えて持ちあげると、相手の身体を旋回させながら開脚ジャンプで落とすの火の玉ボム。
この技の掛け方は、時期によって微妙に変わったりしていますが最終的にはブルーサンダーとかにも かなり似てきていましたが、使いやすい様に徐々に改良を加えて行ったら そうなっちゃったんでしょうね。
自身のニックネーム「火の玉小僧」が技のネームに、大きく関係しているのは言うまでも有りませんが、この技で大舞台でのフィニッシュを飾った事は殆ど有りません。
その中でも最も印象に残っている火の玉ボムは、何と言っても2002年新日本プロレスとの対抗戦の中で行われた IWGPタッグ選手権 獣神サンダー・ライガー&田中稔vs金丸義信&菊池毅の一戦です。
この時点でのこのカードならば、誰がどう見てもライガー組みの王座防衛を予想していたでしょう。
当時のライガー&田中は、文句無しの新日Jr.のバリバリのTOPで、一方の金丸は成長著しい時期だったとはいえ、まだまだライガー&田中と比べると格的にも実績的にも見劣りする時期で、菊池に関してはライガーと同世代を生きた選手とは言え 全日本時代から渕正信や小川良成の影に隠れる事も多く NOAH移籍後は後輩の金丸や丸藤正道、KENTAら成長もあり すっかり影も薄くなっていました。
NOAHで大きな実績も無かった事が、その表れだったと言えますが、それだけに菊池がライガーに勝つと言う事は、失礼ながらまず考えられませんでした。
日本マットのJr.ヘビー級の格的にもライガーの方が、断然上だったとは思います。
だからこそ この試合の菊池の奮闘っぷりには、驚かされたし感動もしました。
容赦ないライガー&田中の猛攻にさらされながらも、強烈なエルボーや頭突きや何度も喰らいついて行き 最後は火の玉ボムを炸裂させて ライガーから完全なフォールを奪い IWGPJr.タッグを奪取してしまったのです!!
大金星と言ってしまうのは失礼かもしれませんが、菊池の粘り強さと負けん気の強さが如何なく発揮された瞬間であると同時に、これまで これと言った成果を上げる事の出来なかった火の玉ボムが、初めて必殺技として大舞台でスポットライトを浴びた瞬間でした。
菊池がライガーに勝てるとは思わなかったし、火の玉ボムがライガーからフォールを奪えるとも思ってもいませんでした。
そんな勝手な固定概念があったからこそ、この火の玉ボムでの勝利は大きな感動に繋がったのだと思います。
全日本時代から菊池はレスリングの実績とは裏腹に、プロレスでは世界ジュニアヘビー級もなかなか獲れずに、不遇の時代が続いていた選手だったと思うので、この時のIWGPJr.タッグ奪取は、NOAH内での菊池のポジションが上がる絶好の機会だったので、密かに期待していました。
この時の金丸や丸藤は、まだまだ成長過程だったので、火の玉ボムで彼等からフォールを奪いまくって 時期的にもこの時がNOAHJr.のトップに立てる最後のチャンスだったと思うんですけどね。
そうは巧くいきませんでした。