G馬場が逝去した日

世間に影響を与えたプロレスラーは数居れど、その中でも群を抜いて知名度も抜群だったのが、世界の大巨人ジャイアント馬場でしょう。

 

1999年1月31日は、”馬場さん”と親しまれ お茶の間でも人気者だったジャイアント馬場が永眠した日です。享年61歳。

超人的な肉体を持つプロレスラーと言えども人間なので、どうしても病気には勝てず プロレスを見始めて 数年も経つと色々なプロレスラーの悲報が、嫌でも目についてきますが、やはり日本全土に与えたニュースは大きな物でした。

“馬場死去”の一報が流れたのは、翌日の2月1日の事で、何気なしにテレビを見ていたらテロップが流れてきたので、あの時には本当に驚きでした。

 

馬場も還暦を迎えて前座と言えども、現役である事にこだわり続け、時には三沢光晴や小橋建太とも戦ったりと世界一元気な60歳と思っていたのですが、1998年に入ると体調を崩しがちになり あんなに元気だった馬場も欠場をする様になってしまいます。

そして1999年1月

新春ジャイアントシリーズから内臓疾患の為に、馬場は欠場してしまったのですが、まぁ何だかんだで、そのうち元気に戻ってくるだろうと軽く考えていた部分はありました。

 

しかし容態は思いの外 悪かったようで馬場がリングに戻ってくる事は2度とありませんでした。

全盛期をとうに過ぎたとは言え、日本マット界を代表するプロレスラーで、全日本プロレスの象徴だった馬場の死には、プロレス界のみならず 日本全国に大きな衝撃を与える事になります。

 

プロレスラーとしての馬場を好きか嫌いかは置いといて、その人柄の良さからプロレスを全く知らない人達からも とにかく愛されていた特異なプロレスラーの早過ぎる死でした。

 

個人的に残念に思ったのは、馬場元子夫人の意向により、馬場の病状等を外部には一切漏らしておらず、だからこそ馬場死去のニュースには衝撃的だった訳ですが、馬場の愛弟子に当たる全日本プロレスの役員でもあった ジャンボ鶴田や三沢光晴にさえも知らせていなかったと言います。

弟子たちに心配をかけさせまいとした元子夫人の配慮だったのかも知れませんが、三沢や鶴田たちは、やはり自分達には知らせて欲しかったのではないでしょうか?

結局 馬場の最期を看取ったのは元子、姪の馬場幸子、実姉のほか、和田京平レフリー、仲田龍リングアナの5人だけだったので、三沢や鶴田も馬場の訃報にはさぞ驚いたでしょう。

 

リング上では第一線を退いていたとはいえ、象徴であり大黒柱の馬場を失った全日本の先行きも一部では不安視されましたが、直後に三沢が立派に跡を継ぎ 三沢退団後は元子夫人、武藤敬司、秋山準らが全日本プロレスを懸命に支えて行きました。

経営的にも世情的にも苦しい事も沢山ありますが、それでも所属選手やスタッフ達が一丸となって馬場が作り上げた全日本プロレスを今も守っています。

 

あの頃とは随分と様変わりした 今の全日本を馬場さんが見たらどう思うのでしょうか?

葉巻ふかしながら ニコニコしてそうですね。

 

プロレスも冬の時代を迎え 新日本一強時代となり、技の高度化、レスラーのキャラクター性の強化、他団体時代、親会社がバックに付くのがスタンダードになりつつある現代のプロレス界をどう思うのか?

是非 馬場さんに聞いてみたいです。

 

1999年1月31日は、ジャイアント馬場が61年の生涯に幕を閉じた日でした。