田上明の喉輪落とし

田上明が最も得意としており、こだわりを持っている必殺技が、喉輪落とし

 

同型の技は、1991年に新日本プロレスでビッグバン·ベイダーが、チョークスラムとして使用したのが最初だと思いますが、間もなくなして田上も喉輪落としとして使用。

田上明 最大の武器となります。

 

最も田上の場合は、大相撲出身なので喉輪は得意とする所だろうし、ベイダーの真似と言うより元々使っていたゴールデンアームボンバーから派生していった物だと思われます。

つまり田上が、喉輪落としと出会うのは必然的だったと言えます。

 

喉輪落としで叩きつけた時に、右手に伝わってくる衝撃が好きだと言う 田上はブレる事無く 喉輪落としに磨きをかけていきます。

あのスタン·ハンセンやベイダーをも見事に喉輪落としで投げきった事も有りますが、日本人選手でそんな事が出来るのは、田上だけでしょう。

 

バリエーションも豊富で、様々な派生技を編み出して行きますが、俺が田上や秩父セメントの様な ”進化させた別の技”よりも、雪崩式や断崖式などの違うシチュエーションで打つ喉輪落としが好きですね。

中でも対空式で打った一発。

1996年の三冠戦で、ダイビングネックブリーカーを放って来た三沢光晴の首を空中で捕えて、そのまま喉輪落としで叩きつけて3カウントを奪い、三沢戦初勝利と三冠初奪取

この時の喉輪落としは、本当にインパクト大でした。

 

先のチャンピオンカーニバルで、ダイビングネックブリーカーの前に完敗を喫しているだけに、田上としても充分に策を練っての三冠挑戦だったのでしょう。

三沢以下の四天王で、シングルで三沢を撃破したのは、この時の田上が”初”と言うのが意外でしたが、それを納得させるだけの田上火山大爆発でした。

 

喉輪落としを開発するまでの田上は、ゴールデンアームボンバーが最大の武器でしたが、確かに単純に痛そうでは有るんですけど、あれだと迫力や説得力に欠ける部分があるので、喉輪落としを開発して本当に良かったと思います。

仮にゴールデンアームボンバーが、メインフィニッシャーのままだったら、田上が四天王と呼ばれるポジションまで上がっていけかも怪しいと思います・・・

 

時が経つにつれて、体の故障やコンディションの悪化が原因で、喉輪落としに高さが出せなくなって来たのは少々残念でしたが、その分 俺が田上等の仕掛けやすい変形の喉輪落としに着手した事が、田上の選手生命を伸ばしたのは間違いないでしょうね。

 

ただ欲を言えば、引退試合で田上は”俺が田上”で、優勝の美を飾っていますが出来る事なら最後は、喉輪落としで決めて欲しかったです。