川田利明のパワーボム

かつて全日本プロレスで、天龍同盟を立ち上げ、常にジャンボ鶴田の対角線に立ち激しいファイトを信条としてきた天龍源一郎。

その天龍が、1990年にSWS移籍を果たし二大エースの一人が全日本を離脱したのは、かなり大きな衝撃だったのですが、当時のプロレス界は、今よりも移籍問題やお金の問題にシビアで、負の感情が強かった時代。

 

天龍の色は全日本に、一切残らないと思っていたのですが、供に移籍するかと思われていた弟子の川田利明が残留を表明。

コスチュームを天龍と同じ 黒と黄色のツートンカラーにして天龍の得意技である起き上がり小法師チョップやダイビングエルボードロップに顔面蹴り、そしてパワーボムを使い天龍の色を全日本に残したのです。

 

最も本人からすれば、天龍の色を残すだとか、天龍の物真似をするだとか、そんな意識はサラサラ無かったと思います。

誰よりも一番間近で見ていた天龍のファイトを自然と吸収し、気がつけば自分の物になっていたのは、ごくごく自然な事だったんでしょう。

 

特に天龍の必殺技であるパワーボム

天龍退団後の川田は、パワーボムをメインの必殺技にしています。

しかし189cmの天龍と違って、川田は183cmと当時のヘビー級としては、決して大きくはない体格でしたが、高さを出せない分は天龍と同じ様に、相手の身体に被さり両手をマットに付けて体重を掛けて押さえ込む形の、天龍を彷彿させる押さえ込み重視のパワーボムを使用しています。

 

新日系の選手はパワーボムで叩きつけた後に、胴体のクラッチを解かずにそのまま押さえ込む形だったので、押さえ込みの説得力では新日系よりも川田のパワーボムの方が数段上だったと思います。

 

更に川田は、天龍式のパワーボムに自分なりのアレンジを加えて、押さえ込みを更に強化します。

両手をマットに付いた後に、両足を宙に浮かせて本当に全体重を掛けて、前のめりに押さえ込むので、ダメージは関係無しに押さえ込みだけで、フォールを奪えそうな位の説得力はありました。

仮にパワーボムのダメージが0だとしても、あれは返せない!

 

四天王の中で、初の三沢越えを果たしたのは、世界タッグ戦でのパワーボム

全日本初の東京ドームで、三沢を撃破して三冠を奪取した時もパワーボム

ウィリアムスを倒し、チャンピオンカーニバル初制覇した時もパワーボム

武藤に奪われていた三冠を奪還した時もパワーボム

 

川田のキャリアの中での大事な局面で、パワーボムがフィニッシュになる事が多かったのは、やはり それだけの威力と説得力を持った技だからでしょう。

 

川田のパワーボムは、最後の押さえ込みを含めて好きな技だったので、2003年からの長期防衛ロードで、徐々に顔面ローキックをフィニッシュに、シフトしていったのは少し残念でした。

コンディション的な問題もあるので、こればっかりはしょうがないんでしょうが川田利明と言えばやっぱり未だに、ジャピングハイキック。

そしてパワーボム

 

これは不変のイメージだと思います。