ステップオーバー·トーホールド·ウィズ·フェイスロック
これが蝶野正洋の一番の代名詞であるSTFの正式名称ですが、名前が長いです。
とにかく長いです。
名前と同じ様に使用歴も長く、蝶野が海外遠征時に鉄人ルー·テーズに伝授された技で、1989年の凱旋帰国以降ずっと必殺技として使い続けていました。
しかし当初は、蝶野がクラシカルなレスリングスタイルな事もあり、ファイトスタイルから必殺技まで全てにおいて、悪い言い方をすれば”地味”だったので、評判は宜しくありませんでした。
まぁ確かにSTFは、掛ける方も受ける方も寝転がってる上に、フェイスロックを掛けているので喰らってる方の表情が見えないのも、マイナスの要因ではありました。
今ほど技の認知度も高くなかった時代なので、会場受けは良くなかったのは事実です。
同時期に凱旋していた同じ闘魂三銃士の橋本真也は、その分かりやすいファイトスタイルとDDTやフライングニールキックと言う比較的派手な技を使用していたのが、STFの”地味な技”と言うイメージに、拍車をかけていたのだと思います。
ただ橋本のDDTに対して、蝶野のSTF
当時は対立関係にあった2人の必殺技が、似た感じの名前だったのは面白かったですけどね。
しかし1990年に、闘魂三銃士最後の一人の武藤敬司が凱旋すると、そのスマートで華やかなファイトスタイルに加えて、ムーンサルトプレスと言う圧倒的な美しさと華を兼ね備えた必殺技を武器に、武藤は瞬く間に日本人屈指の人気選手に駆け上がります。
同年代の比較対照としては、破壊力の橋本のDDT、華の武藤のムーンサルトプレス。
これらに比べると相手が悪すぎると言うか、地味な蝶野はどうしても必殺技でも存在感でも武藤や橋本の影に隠れてしまいます。
しかし、そんな蝶野にも転機が訪れます。
1991年に初開催されたG1クライマックス。
全くのノーマークだった蝶野が、優勝候補筆頭の長州力からSTFで、まさかのギブアップを奪ってしまったのです。
対長州戦の初勝利。 長州がキャリア初のギブアップ負け。
これらの事実だけでも、大きなインパクトを与えたのに、準決勝でもライバル橋本をSTFで下し、決勝戦で武藤をも倒して、余りにも予想外過ぎるG1優勝を果たたした事で、新日本内における蝶野の序列 そして必殺技としてのSTFの威力を再認識させる結果となりました。
例え会場受けが悪い技でも、比較対象と比べて地味な技でも、拘りを持って使い続け、大きな舞台で結果を出す事で、蝶野はこれまでの認識を180°ひっくり返したのです。
このG1以降は、蝶野がSTFの体勢に入っただけで会場が沸くようになり、今では蝶野の必殺技としてSTFに疑問を持つ人は居なくなりました。
継続は力なり・・・正に蝶野はそれを体現したと言えます。
一つの技が脚光を浴びると、すぐさま他の選手も同じ技を使いだすのはプロレス界では良くある事。
例にならってSTFを使う選手は増えましたが、やはり どの選手も蝶野に比べて下手でしたね。 足のかけ方が逆だったり 体重の乗せ方がおかしかったり素人目に見ても本家・蝶野のSTFとは雲泥の差でした。
それが証拠に、STFでギブアップを取った事のある選手は、意外にも少ないんですよね。
やっぱり本家は凄い
周りの評判を気にせずに、拘りを持ち続けた蝶野は凄い
そして その評価を覆した蝶野は、メチャメチャ凄いと言う事です