丸藤正道のポールシフト

丸藤正道が、若手時代からJr.ヘビー級の選手として バリバリやっていた頃の必殺技と言えば、現在でも代名詞である不知火でした。

 

当時のNOAHには、力皇猛や森嶋猛と言った時代を担うヘビー級戦士が居たには居たのですが、強さの面はともかくとして圧倒的に華が足りなかったと言うか、団体の顔にするには、彼らには人気がイマイチ足りていませんでした。

そんな状況だったので本来ならJr.ヘビー級である筈の丸藤が、ヘビー級の戦いに身を投じる事になったのは、本人の向上心もあるでしょうが、会社の意向も大きかったのでしょう。

 

丸藤なら華や人気面では、文句無しですから団体としても丸藤を推したい気持ちは分かります。

しかし 今よりもまだ線も細く完全にJr.ヘビー級の体格だった丸藤には、力強さが足りないばかりか、並みいるヘビー級選手を倒せるだけの説得力を持つ技がありませんでした。

不知火はこの頃から既に必殺技としての神通力を失いかけていたし、不知火·改に関しては受け手を選ぶので、ヘビー級との試合では余り使えない技。

Jr.ヘビー級ならではのトリッキーな技と、各種丸め込み技を駆使する丸藤なりの闘い方で、2006年にはGHCヘビー級王座をも獲得したのですが、これから本格的に対ヘビー級をやっていくのであれば、ヘビー級相手に通用する新必殺技の開発は急務でした。

 

初となる丸藤政権の2度目の防衛戦は、同じくJr.ヘビー級でありながらヘビー級戦線に乗り込んできた宿敵KENTA。

この2人の闘いは、かつての四天王を彷彿させる凄まじい激闘で、ブサイクへの膝蹴りでもgo2sleepでも終わらない。

不知火も不知火·改まで出しても終わらない果てのない消耗戦となります。

最後の最後に、激戦に終止符を打つべく丸藤が繰り出した奥の手は、初公開となるポールシフトでした。

 

丸藤がヘビー級相手でも倒せる技として編み出したのが、このポールシフトでしたが、初公開となったのがJr.ヘビー級の選手だったと言うのが、当時のKENTAとの試合が如何に激闘だったかを物語っています。

 

この後ポールシフト式エメラルドフロウジョンを編み出すまでは、丸藤の奥の手として猛威を振るう事になるのですが、初見の際は正直微妙かなと思いました。

技自体は良い技ではあるんですが、特に大きいヘビー級が多かった当時のNOAHで、丸藤がこれを仕掛けるには、さすがに無理があるんじゃないか?と思ったもんです。

 

しかし そんな心配は全くの無用でした。

190㎝150㎏以上あった森嶋をポールシフトで投げきり、そのまま3カウントを奪ったのだから、これは文句のつけようのない必殺技。

その身体能力を活かして華麗な技を使う事が多かった丸藤ですが、巨漢相手にもここまでの力技を使いこなしたと言う事は、丸藤がヘビー級でも充分通用することを満天下に証明した瞬間でもありました。

 

それだけに、ヘビー級を主戦場にしていたのに、またJr.ヘビー級に本腰を入れて全日本Jr.や新日本Jr.で、ポールシフトを武器に無双してた時は「ズルイよ!!!」と思ったんですけどね。