新日本プロレスと全日本プロレスのバックドロップ
「どちらのバックドロップが凄いのか?」を良く話題に挙げるのが、現在の全日本を代表するバックドロップの使い手・諏訪魔ですが、確かに今でこそラストライドと並ぶ諏訪魔の2大フィニッシュホールドになっていますが、昔からバックドロップをフィニッシュとして使用していた訳ではありません。
デビュー間もない頃の2004年頃の必殺技は、ジャーマンスープレックスでしたが、2005年に各団体の選手を集めたトーナメント「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」では、キャリアの浅い若手ながらも大会に抜擢され、一回戦で強豪外外国人プレデターをバックドロップホールドで、撃破すると言う金星を挙げています。
期待の大型新人で”ネクストジャンボ”とも言われていた時期だったし、相手がブルーザ・ブロディに似た雰囲気を持つプレデターだったので、平成の鶴田vsブロディを意識して披露したのでしょうね。
「オー」までやってたし・・・
諏訪魔がバックドロップホールドをフィニッシュにしたのは、恐らくこれが最初だったと思います。
その後2006年には、ブードゥーマーダーズに加入し、本名から諏訪魔に改名
髪の毛を真っ赤に染め上げヒールターンを果たすと 説得力抜群のラストライドを新必殺技とした事で、ジャーマンやバックドロップがフィニッシュとなる事は、無くなってしまいます。
いや そもそもジャーマンはともかく バックドロップをフィニッシュにしたのはプレデター戦のみだったので、諏訪魔の歴代の必殺技と言う認識すら この時点では無かったと思います。
そして時は流れ諏訪魔もキャリアを積み重ね ベビーフェイスに戻っていた諏訪魔は、リングネームこそヒール時のままですが、全日本プロレスのエースと呼ばれる位置にまで成長していました。
2011年 春の祭典チャンピオンカーニバルに外敵として乗り込んで来たのは、新日本プロレスの永田裕志。
新日本は言わずと知れた全日本の長年のライバル団体。 その新日本のミスターIWGPと呼ばれた男が、チャンピンカーニバルに乗り込んできたのだから、諏訪魔としては燃えない筈がなかったのでしょう。
「どっちのバックドロップが上かハッキリさせよう!」と言い出して永田に、喧嘩を吹っ掛けていきます。
全日本のエースとして、新日本の選手に負ける訳にはいかない意地から出た言葉だと思いますが、当時は「????」でした。
それまでの諏訪魔にとってバックドロップは、それほど大きな比重を占めていた技じゃなかったですからね。
その事に関しては、永田にも突っ込まれていましたが、当時の二人のやり取りをみていて同じ感想を持った人は多かったと思います。
必殺技はラストライドで、バックドロップなんて6年前に、プレデター戦でたった一度フィニッシュにしただけなのに、何故いきなり そんな話になったのか分かりませんが、誰も知らない所で実はバックドロップには拘りがあったようです。
面識は無いものの大先輩である鶴田への憧れが、強かったんじゃないでしょうか。
結局チャンピンカーニバル公式戦では、永田にバックドロップホールドで屈辱の敗戦を喫しますが、三冠を懸けたリマッチでは逆にバックドロップホールドで、リベンジを果たしており、ここから諏訪魔のもう一つの必殺技として定着していく事になります。
永田のような変形の押さえ込みや、小川良成のような抱え込み式でもなく、諏訪魔のバックドロップは鶴田のような成長式のバックドロップホールド。
今では大一番でのフィニッシュになる事も多く ホールドまでガッチリと決まれば勝率100%を誇る正に必殺技です。