今から22年前の1999年の1月4日と言えば、そう 今もなお語り継がれるプロレス史に残る大事件いわゆる”1.4事変”があった日です。
当時の橋本真也は、IWGP王者ではなかったとは言え、まだまだ新日本の強さの象徴だった時代。
その橋本に、東京ドームで対峙したのは因縁浅からぬ小川直也で、今までは立場を変えて新日本vsUFOと言う図式の三度目の対戦。
注目の対戦ではありましたが、ここはIWGP戦線への再浮上を狙う橋本が、勝つ物だと信じていました。
しあしフタを開ければ、まさかの展開。
いきなりの顔面パンチに、容赦無い蹴りの連続。挙げ句うつ伏せの橋本の後頭部を上から踏みつけると言う明らかに、常軌を逸した小川の非常な攻めに、会場は凍りつきます。
これに全く対応できなかった 橋本にも問題はあったのかも知れませんが、プロレスをやりに来た橋本に対して この攻撃は騙し討ちも同然。
試合後も両軍入り乱れての大乱闘で、収集のつかない状況になり、あらゆる方面で未だに、物議を醸し出す事となりました。
やられた橋本は、小川本人よりも その背後に見える影に怒りを感じていたようですが、小川のバック=アントニオ猪木なのは明白で、全て猪木の指示だったのでは?と言うのが大方の見方でした。
猪木が黒幕なのか?
小川の独断なのか?
裏で長州力が手を引いていた?
小川に興奮剤を飲ませた?
様々な噂や憶測だけが独り歩きしていましたが、当事者の小川本人が語らない事には、やはり何が真相なのかは分からないまま。
小川があの日の事を多くは語ろうとしないまま橋本真也は亡くなり、そして月日だけが流れていき、このまま事実が明るみに出る事はないと思われていましたが、22年経った今 小川直也が遂にあの時の事を語りました。
「猪木さんに『ちょっと来い』って言われて。『これはもう世紀を懸けた一戦にするから、ちょっとお前、やって来い。一方的に蹴りまくって、最後は蹴ってリングから出すまでやれ』って言われたんですよ」と当時の真相を告白。
やっぱり猪木の差し金だったのか…
小川も弟子には違いないけど、橋本だって猪木の弟子なのに、師匠に潰されるような真似をされた橋本が不憫です。
橋本が対応できていれば、あんな事にはならなかった…と言われればそれまでなんですが、それでもやはり納得いきません。
「猪木さんからやれって言われたらNOとは言えませんから、やって来なきゃいけない訳です。」と言っている様に、当時の小川からすれば猪木は、絶対的存在かつプロレス界に自分を引き入れてくれた大恩人なので、逆らう事など出来なかったのでしょう。
もし不本意ながらやっていたのであれば小川も可愛そうではあります。
ただ猪木の「やって来い」の線引きが難しい所で、猪木はあくまで”プロレスの範疇”でやれと言ったのかも知れないし、小川が大袈裟に解釈してしまった可能性もないとは言えません。
猪木からすれば、格闘技に押されつつあった当時のプロレス界に一石を投じる為の指示だった様ですが、確かに凄まじい話題にもなったし、小川の暴走王としてのキャラ確率と幻想を抱かせるには充分でした。
しかし橋本の商品価値の暴落を招き 肝心の新日本プロレスの暗黒期な入り口を開いてしまったのだから本末転倒だった様な気もします。
まぁ全て終わった事だし 22年も前の話なので今さら何を言っても どうしょうも無い事ではあるんですが。
それよりも今まで押し黙っていた小川がなぜ、今になって「あの時」の事を語ろうと思ったのか?そこも気になります。
それも猪木の指示なのか、小川の考えなのかは分かりません。
現在猪木の体調は余り良くないようだし 今後プロレス界に関われる事は限られてくるでしょう。
もしかしたら最後に、再び猪木がプロレス界に大きな爆弾を落としたのかも知れません。