箱舟が出港した日

1990年代の日本プロレス界は、闘魂三銃士、四天王、NWO、世界最高峰の新日Jr.、UWFブーム、大仁田厚の電流爆破マッチなどなど 世間に与えた影響も多大にある正にプロレスの黄金時代でした。

しかし2000年代に入ると同時に、総合格闘技やK-1に押され プロレスは勢いを潜めて行く事になるのですが、その要因は格闘技の繁栄だけではなくプロレス界が分裂を繰り返し 団体が細分化を繰り返した事も要因に挙げられます。

 

新日本なら大量離脱なんてのは、特に珍しい事でも無かったんですが、全日本プロレスまでもが三沢光晴の社長解任 そして全日本退団というニュースが駆け巡った時は衝撃的でした。

更には、三沢に追随して川田利明・渕正信以外の所属選手が、こぞって全日本を退団してしまったのです。

 

全日本の過去の歴史を振り返ると 天龍源一郎とその他大勢が、SWSに大量移籍をした事件はありましたが「三沢や小橋はずっと全日本に居る」勝手にそう思っていた部分が有ったので、三沢退団の衝撃は凄まじい物だったのを覚えています。

そして全日本を退団した三沢の選択は、新団体設立。

しかも全日本からテレビ局を そのまま引っ張って来て最初からテレビ中継も付いて所属選手も大量に抱えているという 正に新たなメジャー団体とも言える新団体の誕生は、これまで「新日本と全日本の2大メジャー」と言う長年続いていた日本マット界の概念を覆す物でした。

 

2000年8月5日

ディファ有明で、日本マット界に新たな風を巻き起こすべく 新団体NOAHが旗揚げをしました。

顔ぶれだけ見れば ほぼ全日本そのままなのですが、三沢のカラーである緑色を基調としたリング。 リング上の闘いに重点を置き 過剰な演出は控えて来た旧・全日本には無かった 入場花道やレーザー光線の演出。

ロングガウン等の華やかな入場コスチュームの導入など、以前では有り得なかった様々な”今風”の試みも広がっていました。

 

三沢が全日本の社長になった時代から 少しづつ変わろうとしている兆しは見えていましたが、馬場元子さんの反対などもあり実現出来なかった事も多々ありました。

そこへきて自らの新団体を設立

歴史やしがらみにとらわれる事なく 自分のやりたい様にやる三沢の思い描く”今風のプロレス”が、そこにはあったのでしょう。

 

三沢光晴、田上明vs小橋建太、秋山準

メインは、NOAHのトップ4人による3本勝負。

当時のメンバーで考えられる最高級のタッグマッチです。

 

しかも一本目で、秋山が三沢をフロントネックロックで、絞め落とし秒殺するという従来の全日本では有り得なかった流れ。

更に2本目で、秋山が田上をもエクスプロイダーでフォールし 完全に旗揚げの主役は、三沢や小橋では無く 秋山が持って行く形となりました。

 

これは、もう嫌でも新時代を期待させる展開でした。

今後のNOAHに、期待するしかありませんでしたね。

 

リング上での闘いは、保証付きのメンバーが織りなすプロレスに、新日本顔負けの演出も加わったのだから、この数年後に新日本が落ちて行くと同時に、NOAHが業界の盟主にまで登り詰めたのは、必然だったと言えるでしょう。

 

2000年8月5日は、NOAHと言う名の箱舟が出港した日でもありました。