2006年6月 プロレス界に激震が走りました。
NOAHの小橋建太が、ガンが発覚したとして欠場を発表したのです。
これは、ショックでした。
小橋は当時GHC王座を失っていたとは言え、NOAHの大黒柱であり絶対的な存在。ひいては日本マット界の紛れも無いトップ選手でした。
そんな現役バリバリのトップ選手が、ガンに侵されるなどと言う事自体が、日本マット界には例の無い事だったので、多くのプロレスファンに衝撃を与えたと思います。
右腎臓摘出
手術の末に、一命は取り留めたものの片方の腎臓摘出は、規則正しい日常生活をおくれば、生きていくには問題無いかも知れませんが、小橋はこれからプロレスをやっていけるのか?と言う疑問がつき纏う事になります。
「小橋は終わった」
そんな心ない声も確かにありました。
小橋のファンですら 小橋は充分に闘ってきたのだから、これ以上無理はせずに引退して穏やかに過ごして欲しい…そう願っていた人もいたでしょう。
だが、そんな周りの声をよそに、小橋は1mm足りともプロレス復帰を諦めていなかったのです。
身体を動かせる様になるのと同時に、トレーニングを再開し 周囲の雑音を闘志に変えてひたすらトレーニングに明け暮れます。
そして2007年12月2日
実に546日ぶりに、小橋がリングに帰ってくる事になりました。
しかも高山善廣と組んで、三沢光晴&秋山準との対決と言う 当時のNOAHで考えられる最高のカード。
新日本ファンの自分ですが、この時ばかりは小橋が入場してきただけで、胸に込み上げるものがありました。本当に「小橋健太おかえりなさい!!」そんな気持ちでイッパイでした。
例え以前のような試合が出来なくてもリングに戻ってきてくれただけでも凄い事だし、それで充分だと思っていました。
しかし驚いた事に試合が始まれば、そこには欠場前と変わらぬ小橋の姿がそこにはありました。
逆水平線チョップ、ハーフネルソンスープレックス いつも変わらぬ技を繰り出し、何とムーンサルトプレスまで飛び出したのは、更に未遂には終わった物のバーニングハンマーまで狙ったのには流石に驚きましたが、これこそ小橋の「リングに戻ってきたぞ!」と言う証明だったのでしょう。
結局 最後は小橋のいない間も第一線で闘ってきた三沢のエメラルドフロウジョンからの雪崩式エメラルドフロウジョンと言う 怒涛の波状攻撃を食らい試合には破れてしますが、復帰戦でこんな試合を見せられては、何も言う事はありません。
ようやく小橋建太が、緑のリングに帰ってきたのです。
そして試合後に、小橋はこう言いました。
「やっぱりリングは良いね。リングは最高だ。皆に元気を与えられる様なレスラーになりたい。」
何をおっしゃいますやら、今さらそんな事を言わなくても とっくの昔に「元気を与えられるレスラー」になってるよ!と思ったのは、僕だけではない筈です。
「プロレスラーとして生き続けます。」
最後に語った この言葉は、小橋建太と言う人間の生き方その物だったと思います。
惜しまれつつも2013年に、現役引退をしてしまいましたが、闘病中も引退後もプロレスの事を考え続けている小橋は、正しくプロレスラーでした。
試合こそしていませんが、今でも”青春の握りこぶし小橋建太”であり続ける彼は、充分にプロレスラーだと思います。