2004年と言えば、総合格闘技やK-1の最盛期で、格闘技が最も勢いのあった時期。
その反面 新日本プロレスは、格闘技の勢いに押されていた事もあり 大量離脱等も手伝ってか集客にも相当苦労していた時代です。
NOAHは、純粋なプロレスを追及していたので、さほど影響は有りませんでしたが、中途半端に格闘技に寄っていた新日本は大打撃
総合格闘技やK-1に主力選手を派遣するも 黒星が目立つなど全てが裏目に出てしまい 台頭して来た格闘技に食われてしまう結果になっている真っ最中でした。
プロレスと格闘技は別物と捕えて 距離を置く様になるのは、もう少しの先の話で、この時期はまだ年に数回の東京ドームをやっていた頃なので、どうしても目玉が必要でした。
そこで組まれたのが、K-1との対抗戦。
中邑真輔vsボブ・サップ
柴田勝頼vs武蔵
棚橋弘至vsショーン・オヘアー
吉江豊vsヤン”ザ・ジャイアント”ノルキヤ
この4試合がマッチメイク。
東京ドームの目玉と言うには、余りにも微妙ですよね。
新日本サイドは、ベストメンバーとは言えないまでも新世代を中心に組まれているので、まだ理解はできます。
しかしK-1サイドは何この人選?って感じ。
武蔵とノルキヤは、まあ良いでしょう
ノルキヤは、トップ選手では無いにしても紛れもなくK-1選手ですし 武蔵に至っては、日本人ヘビー級選手のトップファイターなので、良くプロレスの大会に出てくれたな・・・と驚きました。
サップは、K-1で大ブレイクをして活躍していたなので、K-1の選手と言えなくもないですが同時進行でプロレスもやっていて しっかりとプロレスをやった上で、佐々木健介からIWGPヘビー級を奪っている訳ですから 厳密にK-1と言えるのかどうか・・・
まあ王者になった直後に、K-1軍の一員である事が明かされたし IWGPを取り戻さなきゃいけないと言う大前提が有るので、無理やり納得は出来ます。
問題は、オヘアーですよ。
確かにK-1に参戦経験はありますが、それはこの数カ月後の事で、それまではWCWやWWEで、普通にプロレスをやっていたプロレスラーでした。
何でK-1軍として この対抗戦に出て来た!?
オファーをかけた新日本の問題でしょうが、K-1がこの四人しか出せないと言ったのなら新日本の交渉力の問題ですね。
試合に関しては、一番良かったのは文句無しに柴田vs武蔵でした。
寝技制限時間20秒と言うルールさえ無ければ、柴田が武蔵に勝っていたかも?と思わせる場面もあったし最後は、完全に決まったハイキックで玉砕。
負けはしましたが、これぞ異種格闘技戦と言うべき この対抗戦のベストバウトでした。
サップvs中邑は、パワーvsテクニックの良いプロレスでした。
本当に普通のプロレスでした
これがプロレスvsK-1の対抗戦の大将戦とは言えない位に、普通のプロレスでした。
吉江vsノルキヤは、吉江の負けだと思っていましたが、吉江が普通に勝っちゃいましたね。
しかも ダイビングボディプレスからキャメルクラッチで。
めっちゃプロレスですね。
棚橋vsオヘアーは、言うまでもなく最初からプロレスの試合で、棚橋がドラゴンスリーパーで勝利。
だから何でこれが、新日本vsK-1の対抗戦なんですか
終わってみれば二勝二敗で、数字の上では引き分けですが、メインのIWGPで負けているので、負けにも等しい引き分けです。
しかし そんな勝敗以上に、この対抗戦の意味が分かりませんでした。
異種格闘技戦をやりたかったのか?
K-1選手にプロレスをやらせたかったのか?
そもそもK-1選手とは言えないのが、混じってるし もう何かこの頃の新日本は、何がやりたいのか良く分からないと言うか 絶賛迷走中って感じでした。
ただ この対抗戦を経験したからかどうかは分かりませんが、棚橋も中邑も柴田も素晴らしいレスラーに成長しました。
どんな物事にも意味はあるので、この時は意味不明だったと思われた事が、実は糧になっていたと信じたいです。
この対抗戦で得た物が、一つでもあったのなら この対抗戦は結果的に大成功だったかも知れません。まぁK-1との対抗戦なんて もうやらなくても良いですけどね。
2004年5月3日は、新日本プロレスとK-1の対抗戦が、実現した日でした。