負けたら即引退!橋本が小川の前に散った日

負けたら即引退!

プロレスでは、時折「負けたら引退」と宣言する選手は、出てきますが(本当に負ける選手は余り居ませんが)このフレーズが、ゴールデンタイムのテロップに流された時は。なかなかインパクトがあった様に思います。

 

2000年4月7日の東京ドームで、橋本真也vs小川直也の最終戦が行われ このドームは、目玉カードが余り無い ほぼ橋本vs小川の一戦だけで勝負してきたドーム大会です。

それでも充分な程に、この対決には凄まじい期待感とブランド力がありました。

しかもゴールデンタイムの生中継で放送され 世間に絶大な影響を及ぼす中でのプロレス界 最大の遺恨清算マッチ

期待感は、嫌でも高まります。

 

と言うのも 1999年の1.4で、小川の暴走ファイトの前に成す術なくKOされてしまい負けにも等しい無効試合裁定を下されてしまいます。

無効試合ではありますが、小川のプロレスの範疇を超えた非常な攻撃に、対応出来ずボロ雑巾にされてしまったのは、ストロングスタイルの強さの象徴 橋本にとってはイメージが余りにも良くなかった。

いや橋本だけではなく新日本を根底から揺るがす大事件でした。

そして10月に、雪辱を張らすべくリマッチをしますが、ほとんどの人が橋本の勝利を予想していたでしょう。

 

しかし結果は完敗

 

またもや小川に敗れ去った橋本は、失意のどん底に落ちますが、橋本の歴史を知ってる人ならば、橋本はここからです。

トニー・ホームにも天龍源一郎にも2連敗からの三度目の正直で、リベンジ達成をしてきた橋本なので、今回もそうなってくれるだろうと誰もが信じていました。

そして やはり三度目の対戦をぶちあげた橋本に対して、これは使用率が取れると踏んだテレビ局は、ゴールデンタイムで生中継を用意しますが、この試合に橋本の引退を懸ける事を要請。

橋本としても 小川の子分の村上和成に襲撃されるなど、後には引けない状況に追い込まれていたので自ら「レスラー生命を懸けるぞ」宣言をしてしまいます。

 

こうして ようやく東京ドームでの対戦が実現した訳ですが橋本vs小川は「負けたら即引退」と銘打たれ このインパクトのある言葉で、一気に世間の注目をも浴びる事になります。

プロレスとしては、世間に注目を浴びる またとない機会だったのですが、橋本個人としては、ここまで大々的にされてしまっては、今回こそは何が何でも勝たなければならない試合でした。

 

頭を丸め 小川のSTO対策も準備して来て気合十分で、日本中が注目する中 橋本は宿敵が待つリングに向かいます。

今度こそ橋本が勝つだろう

引退を懸けて負ける筈が無い

どうせ橋本が勝つんでしょ?

恐らく 当時テレビを観ていた人の殆どは、こんな感じだったと思います。

 

しかし小川は強かった

STO連発で、またもや橋本の完敗

 

確かに勝機は有りましたが、完全なKO負けでドームの天井を仰ぐ橋本の姿が、全国ネットでお茶の間に流されてしまいました。

これには、予想外だったと言うかショックで、言葉を失いました。

 

そして橋本は、自らが発した言葉通りに、リングを去る事を決意してしまいます。

まぁ結果的に、熱狂的な橋本ファンの熱意に負け 橋本は、復帰する事を決めるのですが、この時の敗北ほど衝撃的な敗北はありませんでした。

この年の10月には、橋本は新日本で一度は復帰戦を行ない 新日本を退団(解雇)するのは11月の事なのですが、新日本の橋本真也は、実質的にこの小川戦で終わっていたと思います。

 

もし この時 小川に勝利していれば 橋本のプロレス人生は、どんな物になっていたのか・・・今でも思う事が有ります。

 

2000年4月7日は「負けたら即引退」として橋本真也vs小川直也が行われ 橋本が壮絶に散った日でした。