ハッキリ言って後藤達俊は、中堅選手でした。
会場人気はともかく全体的に、人気選手と言えるレベルでは無かったと思います。
しかし後藤達俊 大好きでした!
特にあのバックドロップは、芸術品だと思うし 全選手の数あるバックドロップの中でも後藤のが、断トツで一番好きでした。
これは今でも変わりありません。
相手のサイドから抱え込み 独特の捻りを加えて投げる後藤のバックドロップは、名人芸と言っても差し支えないレベルだったと思います。
大きい舞台で勝つ事は少ない後藤でしたが、それでも時折見せる鋭いバックドロップで、蝶野正洋や佐々木健介 馳浩など当時のトップグループから何度もフォールを奪う姿が、格好良く見えたものです。
特に1999年の佐々木健介&越中詩郎に挑んだIWGPタッグ線では、二人の猛攻に耐えに耐え ほんの僅かな隙を見逃さず越中に放った たった一発のバックドロップで、IWGPタッグを奪った時は感動すらしました。
かつて後藤が所属していた平成維震軍のリーダーだった越中からフォールを奪い ベルトまで奪ったのだから痺れましたね。
後藤は、これまでウィリアム・ルスカや藤田和之などの格闘技系の大物と闘った事もありますが「勝敗以上にバックドロップを決めれるか!?」この点に注目が集まっていた部分も大きかったと思います。
そこまでバックドロップの価値を高めたのは、凄い事ですが その価値を高める事になった一番の要因は、後藤にとっては忘れられない事件となった「馳浩の心肺停止事件」なんですよね。
1990年
後藤と馳のシングル戦で、試合終盤トドメを狙う後藤が狙うは、当然必殺のバックドロップ。
この受け身を誤り 馳は側頭部からヤバい角度でマットにめり込んでしまい試合は終了するのですが、試合後に馳は突然 倒れ込みそのまま心肺停止までする緊急事態となってしまったのです。
その後の適切な処置と緊急搬送で、どうにか馳は蘇生しますが馳が倒れてから緊急搬送の間 後藤はずっと青ざめてたそうです。
そりゃあそうですよね(汗)。
馳は何と幽体離脱をしてしまい倒れている自分の姿を高い所から見ていたと言うし、後藤にとっては忘れたくても忘れられないアクシデントでしょうが、そこからバックドロップの説得力が更に増したのも事実。
一部では地獄バックドロップと呼ばれるのも馳が、本当に一度死んでいるからであって この技にはある種の神通力みたいな物もありました。
アクシデントをギミックに利用したりするのは、プロレスでは良くある事ですが、この時は本当に紙一重。
馳があの時あのまま死ななくて良かった。
後藤が十字架を背負う事にならなくて良かった。
これは本当に、切にそう思います。