今から25年前の1995年の1.4は、当時を知るプロレスファンにとっては、忘れられない日だったでしょう。
新日本プロレスとUWFインターナショナルの全面戦争が行われ Uインターの敗北により歴史上「Uが死んだ日」と呼ばれています。
アントニオ猪木の掲げるストロングスタイルで、プロレスの中心を走る新日本と そんなプロレスを全否定して 従来のプロレス色を排除して格闘技色の強い新たなプロレスを追求したUWF。
そのUWFの分裂騒動で、枝分かれして生まれたのが高田延彦 率いるUWFインターナショナルでした。
スタイルの違いもあれど新日とUインターは、正に水と油
蝶野vs高田のシングル戦消滅
Uインターの5億円トーナメント
様々な件で、新日本とUインターは衝突し 法廷闘争の直前まで言った事もあった程です。
そういう経緯があっただけに、両団体が交わる事は無いだろうと思われていた矢先に、まさかの全面対抗戦と言う衝撃のニュースがプロレス界を駆け巡ったのです。
Uインターを退団して新日本に参戦してきた山崎一夫の件を巡り 長州力と高田による電話対談で交渉は決裂するも長州は「ならリング上で決着をつけようと!」とばかりに、即座に東京ドームを抑え 全面対抗戦が決定しました!
移籍問題が泥沼化するのは、良くある話ですが、リング上で決着をつけるというのは、プロレスファンとしては大歓迎な訳で、この世紀の対抗戦を観ようとチケットは飛ぶように売れ あっという間にソールドアウト。
実際は諸事情による両団体の資金難で、利害の一致による対抗戦と言う最終手段を用いた訳ですが、当時のファンはそんな事を知るよしも無いし この対抗戦が観れるなら そんな裏事情はどうでも良い事です。
立見席すら取れない状況で、東京ドームに集まった観衆は何と6万7千人
水増し無しでこの数字は、現代では考えられない状況ですね。
両団体のファンが喧嘩を始めてしまう等 とにかく当時のファンは熱く プロレスに熱があった時代でした(喧嘩をするのは良くないですが・・・)
対抗戦も全試合が独特の緊張感で、殺伐とした雰囲気の中で、目立ったのは新日本勢の大きさと強さ。
完全にパワーや投げ技で、Uインターを圧倒し 業界トップの強さを見せつけていました。
しかし その中で、高山善廣や垣原賢人と言ったスターが生まれた事は、Uインターサイドにとっては、希望とも言える喜ばしい事ですが、対抗戦事態は5勝3敗で新日本の圧勝。
特にメインで武藤敬司が高田の蹴りを掻い潜り ドラゴンスクリューで膝を破壊してから足4の字固めでギブアップ勝ちをした事は、大きな衝撃でした。
膝の負傷というアクシデントは有ったにせよ 蹴り足を取られてのドラゴンスクリューで膝を破壊されたのだから完全なアクシデントと言う訳ではないと思います。
プロレス流の”受け”をすれば、膝の負傷は避けれますからね。
UWFの武器である蹴りを封じられ プロレス技でギブアップを奪われたのだから文句の付けようも無い完全決着です。
あの北尾光司やベイダーを撃破して”最強”を掲げていた高田の完全敗北
何よりプロレスを否定して来たUWFが、プロレスの古典的技の足4の字固めで、ギブアップの言葉を発したと言う事は、自ら自分達のやって来た歴史を否定する事と同義とも言える事実。
5勝3敗の数字以上に、大きな敗北なのは間違いないでしょう。
これが、せめて武藤ではなく長州や橋本真也に敗れていたのなら ここまでの大事件には、ならなかったでしょう。
よりにもよってアメリカンスタイルの権化とも言える武藤なので、新日本色の強い他選手に負けるよりも衝撃の敗戦となった筈です。
リング上で勝ち名乗りを受けて ここから益々驀進していく武藤とは対極に、足を引きずりながら引き揚げて行く高田
そんな高田に突き刺さるファンの「高田!前田が泣いてるぞ!」のヤジ
この日 間違いなく「Uは死にました」
プロレスを否定して来たUWFが、プロレスに完全敗北を喫した日です。
この4カ月後に、高田は武藤にリベンジを果たしIWGPを奪った物の時すでに遅し。
1戦目のインパクトが強すぎる為に、あの時の印象を塗り替える事は出来ず この後Uインターは、徐々に方向性を失い迷走を始め 遂には1996年12月に解散となってしまいます。
これまでプロレス界には、イデオロギー闘争は山ほど有りましたが、この対抗戦程の盛り上がりを見せ 尚且つ勝者と敗者の明暗がクッキリと分かれたイデオロギー闘争は、他にありませんでした。
正しくプロレス界の歴史に残る 世紀の全面戦争だったでしょう。
願わくば現在のプロレスでも この時くらいの大きなビックバンを起こして欲しい物ですが、さすがに無理ですかね。