日本のプロレス界で、世間に影響を与えたプロレスラーと言えば、力道山に始まりアントニオ猪木、ジャイアント馬場 そして初代のタイガーマスク。
これには勿論 当時の世の中の背景を考えると 現代と簡単に比較出来る物ではありませんが、この4人が日本マット界の歴史上 最も世間に届いたレスラーでだと思います。
4人が4人とも それぞれのプロレスを世間に届け 国民的なスターになった訳ですが、唯一のJr.ヘビー級のタイガーマスクのインパクトは、物凄い物がありました。
今まで誰も観た事が無い空中殺法に、軽快な動きと正体不明のマスクマンと言う事で、老若男女問わず 日本中がアニメの世界から飛び出して来たヒーローに夢中になった物です。
それだけに、1981年4月~1983年8月の僅か2年4カ月で、タイガーマスクとしての活動を終えて新日本から去っていった事は、とてつもない衝撃で、それがあったからこそ伝説となったとも言えるでしょう。
加えて直後に、テレビ番組であっさりマスクを脱いで素顔を晒し、佐山聡である事を明かしたも衝撃的でした。
プロレスを知らない人でも タイガーマスクを知っている人は多かったように、その影響力は凄まじい物があったと思います。
そして1994年の福岡ドームで、11年ぶりに初代タイガーマスクが一夜限りの復活を果たし 当時のJr.ヘビー級のバリバリのトップであった獣神サンダー・ライガーとエキシビジョンマッチながらも対決すると言う事が、大きな話題を呼びました。
これには当時は、期待しか有りませんでしたね
確かに佐山は、この当時からかなり太っていましたが、ライガー戦までには減量をしてウェイトを戻す宣言をしていたので、そこにも期待していたのですが、いざ入場してくると・・・全然痩せてねーし!!
そこには、ガッカリしましたが、それ以上に素顔の佐山で花道に現れ マスクを被っていない所か、コスチュームも全身黒のタイツ
ライガーvsタイガーを期待していた人には、期待はずれも良い所です。
まぁ確かに、タイガーの中身は佐山なので、マスクを被っているか被っていないかの差だけで、実際は同じ事なのですが・・・やはりタイガーマスクと佐山聡では、意味が全然違いますからね。
ましてやライガーvsタイガーの夢対決だったのに、佐山となると興味も半減どころでは、ありません。
試合が始まったら始まったで、そこにタイガーマスクは居ませんでした。
流石に動きのキレこそありましたが、4次元殺法は一切出さず蹴りやパンチを主体に戦い、そのファイトは佐山が提唱していたシューティングその物。
こんな格闘技みたいなものを観たかった訳じゃないんだけどなぁ・・・
終始 笑いながら闘っている佐山の顔が映し出される度に、ガッカリ感が募っていきます。
結局は10分時間切れ引き分けとなり 消化不良の様な感じになってしまうのですが、ライガーは流石に「これじゃない」と思ったんでしょうね。
「次はタイガーマスクで!」と言いましたが「次」は残念ながらありませんでした・・・
そして後から分かった事ですが、佐山は
「適当にやろうと思っていた」
と語っていたそうです。
これは幾ら伝説のレスラーと言えども・・・いや伝説のレスラーだからこそ許しがたい発言だと思います。
普通の試合ではなくエキシビジョンとは言っても「適当に・・」なんて言葉が口から出て来る自体が、プロレスを軽く見てるとしか思えません。
更に数日後のシューティングの会場で、佐山は
「新日本で試合を…いや、芝居をしてきました」
こう発言しました。
言ってる事は、間違っちゃないのかも知れませんが、この物言いには「ああ 佐山はプロレスにもう情熱は無くなったんだな」とガッカリしました。
勿論 個人の考えは自由なので、佐山がどう思おうが勝手なんですけど、要は公の場所での言い方ですよね?
世間に影響を与えた伝説のレスラーだけに、発言の一つにも影響力がある事を考えてから 発言して貰いたかったですね。
ましてや、思ってても言わなくても良かったんじゃ…と思わせる内容だけに、残念でした。
その後 四代目が活躍中なのにも関わらず初代として再びマスクを被り しれっとプロレスに現役復帰してるのも「何だかなぁ」と思ってしまいます。
人間だから考えが変わる事もあるだろうから、百歩譲ってプロレス復帰は、良いとしても虎のマスクを被るなら せめて痩せて(汗)。