2002年 NOAHはまだまだ旗揚げ間もないながらも三沢光晴・小橋建太・秋山準を中心に、旧・全日本の流れに新しい物をプラスしながら 多くの将来有望な若手を抱えつつ順調に航海を続けていました。
当時のNOAHは、新日本と交流戦を行なっており ほんの数年前なら考えられなかった様な対戦も数々 実現させてきました。
そんな中で、新日本から獣神サンダー・ライガーと田中稔の2人が、NOAHを視察に訪れたのです。
当時の新日Jr.と言えば90年代黄金期の中心選手の大谷・カシン・高岩は退団した物の新メンバーを加えつつ まだまだJr.ヘビーの最高峰と言われていた時代
金本浩二は、T2000に加入していた時期なので、ライガーと稔と言えば新日本Jr.の押しも押されぬ 本体2トップ。
そんな2人が、視察にきているのだからNOAH勢は(特にJr.選手)緊張が走った事でしょう。
2002年のNOAHJr.の陣容は、小川良成はヘビー級戦線に出向いた為にカウントはされないと思いますが
金丸義信、丸藤正道、菊池毅、百田光雄、杉浦貴、KENTA、鈴木鼓太郎、橋誠
今見ると なかなか凄いメンバーですが、当時は杉浦もKENTAも鼓太郎も橋もデビューして間もない新人同然の時代。
GHCJr.ヘビー級王者経験者の金丸や丸藤ですら、まだキャリアも5年にも満たない頃だった事も有り、世界最高峰の新日Jr.と比べると かなり見劣りしていたのは事実でした。
丸藤は、前年に新日Jr.黄金期を支えた一人の高岩からGHCJr.を奪回していますが、それでもまだまだ格下感は拭えなかった時代だったと思います。
しかし そんな事はお構いなしに、いや・・・だからこそでしょうか?
ライガー達が見守るリング上で、丸藤が叫びました。
「ノアのJr.は最強です!」
最強と言う言葉を軽々しく使った丸藤に対して、ライガーは激怒。
丸藤に詰め寄ります。
国内外を問わず 世界中の様々な強豪レスラーと激闘を繰り広げたライガーからすれば、キャリア5年にも満たない丸藤が「最強」と言う言葉を口にしたのが、許せなかったのでしょう。
世界を股にかけて闘ってきた男のプライドでしょう。
それは分かります。
実際にそれなりの実績を積んで来た丸藤と言っても 当時のNOAHJr.と世界最高峰と言われた新日Jr.では、かなりの差がありましたから。
小川良成が言うならいざ知らず 多くのファンが、やはり丸藤のこの発言には、違和感を感じまくっていたようでした。
しかし丸藤からすれば
「自分の所は弱いなんて言う人は居ないでしょう」と言っていた様に、丸藤もまた自分達の闘いに、プライドを持っていたからこその発言だったのだと思います。
対抗戦に向けて盛り上げる為の言葉でもあるし、自分達に活を入れる為の言葉でもあったのでしょうね。
現に、この数年後にNOAHJr.は急成長。
丸藤と金丸は安定感抜群で、杉浦とKENTAも急成長
NOAHのJr.版四天王と呼ばれていた時代は「ノアのJr.は最強です!」という言葉も大袈裟ではない程に、強かったんじゃないでしょうか?
いや あの頃のNOAHJr.は、本当にJr.ヘビーで最強だったと思います。
当時22歳・あのキャリアで、Jr.の重鎮ライガーを眼の前にして、あんな言葉を堂々と言える丸藤は、やはり大した物です。