1990年代の超・新星と言えば 真っ先に思い浮かぶのは、秋山準でしょう。
1993年にデビューした秋山は、早々にノーザンライトスープレックスを必殺技として あっという間に、頭角を表します。
数年後に、トップ戦線にまで参入した秋山は、裏投げを改良したエクスプロイダーを開発し 四天王の一人である田上明に、エクスプロイダーで勝利するなど やはりこのポジションでも存在感を出してきます。
エクスプロイダーの破壊力は、四天王も認めてはいた物の三沢光晴や小橋建太、川田利明の壁は厚くシングルマッチでは、連戦連敗。
当時の秋山のキャリアを考えれば 当然の事なんですが、超・新星と呼ばれた男は元々の期待値が高すぎる為に「健闘しました」では、許されず苦悩の日々が続きます。
停滞していた時期とは言っても 同じ位のキャリアの選手の中では、遥かに高い位置での停滞なので、天才ならではの苦悩と言うやつでしょうか。
そうしてる間に迎えた1998年
全日本プロレスが東京ドーム初進出した際の馳浩戦が、秋山にとって一つのターニングポイントだったと思います。
この試合を秋山のベストバウトに挙げる人も多く タイプの似ている二人だけに、正に好勝負でした。
馳の裏投げ
秋山のエクスプロイダー
この似ている技を交互に放ち、すぐに立ち上がるとまた投げ捨てる。
この攻防は、ドームを大いに沸かせましたが、エクスプロイダーは当時の秋山の必殺技。
こんな安売りして大丈夫か~~?と心配になったりもしました。
ですが心配は無用だったようで、この試合に向けて秋山は、更なる奥の手を用意していました。
相手の股下を通した腕をクラッチしてから投げるリストクラッチ式エクスプロイダーでした。
衝撃でした。
今でこそ頻繁に、リストクラッチ式○○と言う技は繰り出されますが、この当時は手首をクラッチして投げる技が、殆ど無かった時代。
相手の技の威力を弱めるには、当然受け身が重要になってきます。
じゃあ受け身を封じれば良い
なら手首を固めれば受け身は取れない。
物凄く単純な発想ですが、誰もが考えなかった発想です。
しかも受け身を封じておきながら 垂直落下式で落とす徹底ぶり。
この一発で、馳からフォールを奪い 以降は秋山の最上級の必殺技になり、同時に全日本プロレスとNOAHを中心に、リストクラッチ式は流行技になります。
2000年には、何度やっても越えられなかった三沢からリストクラッチ式エクスプロイダーで勝利するなど 文字通り出せば必ず決まる一撃必殺の技となったのですが、徐々に返される事も珍しくなくなってしまい スターネスダストを更に奥の手とした時期もありました。
でも秋山と言えばやはりエクスプロイダーなので、このリストクラッチ式エクスプロイダーを最上級の必殺技として固定して欲しかったなと言うのは、ありますね。
ぶっちゃけ片方の腕をクラッチしても もう片方の腕だけでも十分ではないとは言え受け身は、とれます。
それでも片手をクラッチしただけで、説得力が格段に増すんだから不思議なもんです。
プロレスならではの神通力でしょうか。