後藤洋央紀「G1のGは後藤のG」

後藤洋央紀が海外武者修行から凱旋したのは、2007年ですがあの時の後藤の勢いは凄まじい物がありました。

帰国早々に天山広吉を潰し 早くも掴んだIWGP初挑戦の棚橋弘至戦では、惜しくも敗れたものの新日本の未来に、希望を感じさせる内容だったと思います。

 

翌年の1.4で、グレート・ムタに完敗し ニュージャパンカップ一回戦で、棚橋にまたもや敗れた時には、あの勢いもトーンダウンしたのかと思いきや、、、まさかのG1クライマックス初出場 初優勝!

いずれG1を制覇出来るだけの逸材とは思っていましたが、さすがに初出場でいきなり優勝をかっさらっていくとは、思いもしませんでした。

 

後藤には期待はしていましたが、正直な所を言うと初出場で、優勝はして欲しくなかったです。

これまでの歴代の優勝者は、何度も何度もG1でだけは勝つ事が出来ずに苦しんできたのを知ってるし それがG1の価値だと思ってたからです。

しかし その価値観をぶち壊す位の若くて勢いのある選手の出現は、喜ぶべき事でしょう。

何にせよ 後藤は初出場・初優勝と言う誰もやった事の無い偉業を成し遂げました。(第一回の蝶野は別)

 

「G1のGは後藤のG!」

 

後藤が放ったこの一言は、これまた今までの価値観をぶち壊す一言でしょう。

G1の歴史上 夏男と言えば蝶野正洋で満場一致だと思いますが、もう少し新しい時代で言えば 2連覇3度優勝の天山広吉

この辺りが、G1の象徴だったと思います。

 

そのイメージを払拭して これからは自らが、G1のアイコンになる

そんな意気込みの見える一言でした。

 

まぁ結局 G1優勝者として全日本の武藤敬司に渡っていたIWGPに挑戦するも敗北

その後 何度挑戦してもIWGPは獲れず。

「G1のGは後藤のGと」言っておきながら 以降一度もG1は優勝できず、ここ数年は負け越しや最下位も珍しくない始末。

そんな所が、後藤らしいっちゃあ後藤らしいんですけど いつの日か説得力のある「G1のGは後藤のG」と言う言葉をリング上で、堂々と言い放つ後藤の姿を見てみたいです。