2003~4年は、中邑真輔のプロレスキャリアを語る上で、外す事の出来ない重要な期間だったと思います。
2003年には、史上最年少のIWGPヘビー級王者となったのですが、ここから中邑は普通の選手では有り得ない 重い十字架を背負わされる事になります。
武藤敬司や橋本真也の居なくなった新日本を下積みも積んでいないキャリア2年程の若者が、新日本を背負って行く事になったのだから その重圧は大変な物だったと思います。
本来ならヤングライオンとして 前座でプロレスの基本を覚えている時期ですからね。
第三世代を差し置き 新日本の看板を背負う事になった王者は、時代の流れに飲み込まれて総合格闘技に、出撃する事になります。
デビュー前から格闘技経験のあった中邑とは言え 王者としての他流試合は、リスクが高すぎるので、この試合を受けただけでも中邑は凄いと思います。
そして迎えたアレクセイ・イグナショフ戦。
ベースが、ムエタイの選手とあって立ち技を警戒しながらのタックルが、面白い様に決まっていきます。
何度も上に乗る場面を作りだしますが、イグナショフは、巧みに足を使ってガードポジションから間接を取らせません。
この辺りの対応力は、あのミルコ・クロコップ以上とも言われてる様に、終始 冷静に対応していきます。
試合が進むにつれて イグナショフが中邑の動きに慣れてきたのか タックルを切る場面も目立ち始めてきます。
「早い目に勝負を決めないとヤバい」と思った矢先
中邑のタックルのタイミングに合わせてイグナショフの膝が顔面にヒット!
思わず崩れるも すぐに立ち上がり試合を続けようとしますが、レフリーはここで試合をストップ!
まさかのIWGP王者の敗北!!
KOされた訳ではないのに、試合をストップされては、当然 中邑サイドは納得行く筈もなく抗議しますが認められたのは、数日後。
運営側もミスジャッジを認め 異例の判定が覆る事態となりましたが。ゴールデンタイムで、赤っ恥をかかされた新日本と中邑が黙ってられる筈がありません。
ここから再戦に向け動き出します。
とは言えイグナショフの膝蹴りで、受けたダメージは大きくIWGPは返上する事となってしまいましたが、今度こそ新日本の看板を背負い確実にイグナショフを仕留める。
その想いだけを胸に、中邑は再戦の時を待ちました。
そして五ヶ月後 遂に再戦の時は訪れ 新日本の名誉を取り戻す為に、中邑は再びイグナショフと対峙します。
膝蹴り対策として 今度は胴タックルを中心に攻めつつ 時折 低空タックルも織り交ぜながらイグナショフに、タイミングを掴ませません。
この中邑の変則的な攻撃が、功を奏したのか ギロチンチョークが、イグナショフを捕らえ 遂に中邑が勝利!
あの時の屈辱を見事に、晴らしてみせました。
「今日のテーマは笑顔です!」
試合後に中邑は、満面の笑みでこう言いました。
これは偽る事の無い この時点での中邑の本音でしょう。
この五ヶ月間 中邑のプレッシャーは物凄かったでしょう。
若くしてIWGP王者となり 団体を背負わされ総合格闘技のリングで他流試合
敗けにも等しい無効試合で、ようやく掴んだ再戦のチャンス
もし 敗れるような事があれば今度こそ新日本と中邑は終わりです。
そんな中で、プレッシャーに負けず戦い抜いた中邑は、これを機に格闘技進出に区切りをつけます。
ようやく笑う事が、出来る日がやってきました。
格闘技に押されぎみだった新日本が、一矢報いたとは言え 当時は暗黒期の真っ只中。
棚橋弘至と供に新日本を支え イヤォなキャラに変貌を遂げるのは、この数年後の話。