2002年5月2日 東京ドーム大会
NOAHの盟主・三沢光晴が、新日本プロレスのリングに、初めて上がった日です。
厳密には1990年にも一度 新日本に上がっているのですが、その時はタイガーマスクとしてなので、三沢光晴としては、この時が初となります。
新日本プロレス30周年記念「闘魂記念日」と銘打たれた大会ですが、2002年は年明け早々に、武藤敬司や小島聡 ケンドー・カシンなどの主力選手が全日本プロレスに移籍しており陣容的には、少し弱いのが当時の新日本でした。
そこで、ドームの目玉として交流のあったNOAHに打診して 三沢参戦となった訳ですが、蝶野正洋戦が発表されると様々な場所で、勝敗予想などの盛り上がりを見せました。
夢にまで見た 闘魂三銃士vs四天王なのだから当然ですが、これぞ東京ドーム!と言うカードですよね。
しかし試合時間30分1本勝負と発表されると
「あ~~時間切れ引き分けか・・・」
殆どの人が、こう感じたと思います。
この時点で、やや注目度が下がったのは止むを得ないですが、それでも新日本に三沢光晴が上がる事に、大きな意味があるのだから試合結果は二の次と言った所でしょうか?
実際に三沢の入場シーンで、スパルタンXが流れ 花道を歩いて来るそのシーンは、物凄い歓声でしたし やはり日本マットを代表するトップレスラーだけあって風格は凄まじかったです。
時間切れ引き分けが、見え見えなのは残念でしたが、新日本ファンの自分からしても蝶野が三沢に勝てるとは、思ってませんでしたから これはこれで良かったのかも・・・
いざ試合が始めると さすが供にトップ選手
シングル初対決にも関わらず結構噛み合ってました。
三沢の卍固め
蝶野の河津落とし
それぞれのルーツを掟破りで、仕掛けるのも面白かったし 三沢のエルボーと蝶野のケンカキックの応酬も見応え十分。
フェイスロックとSTFの応酬もギブアップ決着は、無いだろうと思いつつもハラハラしました。
最終的には、予想通り時間切れとなった訳ですが、これで良かったと思います。
試合後に、蝶野が余りにもヘロヘロになってるもんで、どうにかして場を繋がなきゃと思ったのか 天山広吉が「オイ三沢!次は俺がやってやる!!」と夢の対決の余韻をブチ壊す KYな一言。
思わぬ挑発を受けた三沢は後に
「ぶっちゃけウザイ」
三沢さん 辛辣すぎる一言でした。