2000年4月19日は、新日本プロレスの福田雅一が、試合中の事故で亡くなった日です。
もう20年も前になります。
レッスル夢ファクトリーから スーパーJr.に参戦したのをきっかけに、その才能を見いだされ1999年1月に、新日本に移籍してきた福田雅一
当時としては、新日本に他団体からの移籍は、まだ珍しい時代だったので福田が如何に見込まれてたのか分かると言う物です。
何せ188cm/105Kgの体格ですから 新日本も貴重なヘビー級として育てていこうと考えていたのでしょう。
1996年3月デビューなので、キャリアは既に3年弱あったし スーパーJr.出場の実績があるにも関わらず ヤングライオンとして下っ端からスタートをした辺り福田の謙虚な性格が表れています。
長州力や橋本真也に、可愛がられていた事からも素直な性格だったんでしょうね。
2000年4月
永田裕志、中西学、吉江豊、ブライアン・ジョンストンと共に、G-EGGSを結成。
キャリアは有るとはいえ まだ一ヤングライオンをユニットに加えたと言う事は、永田や中西も福田のその将来性を大いに、買っていたんだと思います。
ヤングライオン杯出場も決まり ここで結果を残せばヤングライオンを卒業をして「さあこれからだ!」という矢先の事故でした。
ヤングライオン杯初戦で、対戦相手のエルボーを受けて頭部を強打し 試合後に意識不明の重体となり緊急搬送。
そのまま急性硬膜下血腫により27歳の若さで、この世を去ってしまいました。
この死は、余りにも早過ぎます。
将来を期待され プロレス界初のインディーからメジャーに成り上がって来た人材だったのに・・・・
もしあの事故がなければ・・・
もし今も福田が生きていたら どうなっていたのか考える事があります。
供にヤングライオン杯に出場していたのは
真壁伸也
棚橋弘至
柴田勝頼
井上亘
鈴木健三
このメンバーに交じって成長していってたらどうなっていたのか?
棚橋や真壁 2年後に出て来る中邑真輔と切磋琢磨しながら暗黒期を駆け抜けていったのか・・・
2000年末に、慕っていた橋本と共に新日本を退団してZERO ONEに移籍するのか・・・
2002年に、同じく慕っていた長州と供に、WJに移籍するのか・・・
武藤と全日本移籍は、無い様な気がする・・
2005年に、藤波辰爾の無我 あるいは柴田らとビックマウスラウドに移籍するのか・・・
分岐点となる場所は、色々あったので何処でプロレスをやっていたかは分かりませんが、もしかしたら退団して数年後に外敵として新日本を荒らしていた可能性だってあります。
しかし 身体もあり運動神経もあり才能も有った。
もし福田が生きていれば本当に、プロレス界のトップ選手の一角にはなっていたかも知れません。
あの事故が無ければ 現在47歳
年齢的には、既に第一線を退いているとは思いますが、恐らく2010年前後に大活躍していた選手だったと思います。
巨体から繰り出すSTOは、凄かったです。
ご冥福をお祈り致します。