今や新日本の看板シリーズとなったG1クライマックスですが、30年経った今でも伝説として語られる事の多い第一回大会。 そもそも ここまで息の長いシリーズとなったのは、ノーマークの蝶野正洋の優勝と予想外の技での決着。 この意 […]
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時は1997年 プロレス界に限らず他業界を巻き込んだ程の 世界中が空前のNWOブームに沸き 蝶野正洋率いるNWO JAPANを擁する新日本プロレスも黄金時代を迎えていた時です。 あっという間に、新日本を牛耳ったNW […]
1999年の新日本のメインストーリーとなった NWO-JAPAN vs T2000 その頂上決戦となったのが、2000年1月4日の東京ドーム大会で行われた武藤敬司vs蝶野正洋です。 一年間引っ張ってきた抗争の決着戦だ […]
アントニオ猪木が作った新日本と ジャイアント馬場が作った全日本 両団体は旗揚げ以来 水と油の様な関係で これまで交わる事は、数える程しかありませんでした。 しかし2000年 歴史が動きました。 三沢光晴達の大量離脱で […]
2002年5月2日 東京ドーム大会 NOAHの盟主・三沢光晴が、新日本プロレスのリングに、初めて上がった日です。 厳密には1990年にも一度 新日本に上がっているのですが、その時はタイガーマスクとしてなので、三沢光晴とし […]
1991年に行われた蝶野正洋vs馳浩 その試合前の一言です。 初開催のG1に優勝して一気にトップに躍り出た蝶野 一方トップグループの下位に、位置していた馳 その2人の対戦で、テレビ中継用の試合前の一言が、CM前に […]
いまだに、語られる事の多い橋本真也の名言。 1990年 橋本は、師匠越えを果たすべく東京ドームでのアントニオ猪木戦をかねてから口にしていました。 そこにライバルの蝶野正洋も割って入り 結局 橋本と蝶野が組み 猪木は、 […]