佐々木健介のノーザンライトボム

1990年に凱旋帰国を果たした佐々木健介は、当時は正に反骨精神の塊でした。

会社が推していた目の上のたんこぶとも言うべき、闘魂三銃士に噛みつく姿が魅力だったんですが、その頃の三銃士と健介の実力差は如何ともしがたく三銃士の誰と戦っても連戦連敗の日々。

 

その当時の健介の必殺技は、逆一本背負いやパワースラムで、良い技ではあったんですが三銃士の牙城を崩すには至らず、ストラングルホールドを使い始めるも三銃士の壁はまだまだ高い。

かなり良い試合をして何度も追い込むのですが、最後にどうしても3カウントを奪えない健介に足りなかった物は、強力な必殺技・・・そんな感じでした。

 

武藤敬司や蝶野正洋の様に、巧みな試合運びで戦うのなら強力な必殺技に頼らずとも勝利に辿り着く事も出来たでしょうが、健介はバカ正直なまでな直線ファイター。

相手を叩きのめす強烈な技は、必須だったと思います。

 

そんな健介に転機が訪れたのは1995年。

全日本女子プロレスの北斗晶と健介の電撃結婚は、プロレスファンをかなり驚かせたものです。

トップレスラー同士の結婚は国内では初だった事もあり、お互いの必殺技を交換と言う形で、健介がストラングルホールドγを・・・そして北斗がノーザンライトボムを伝授して お互いの持ち技に加えると言う副産物も生まれる事になります。

 

結婚当初は、ワールドプロレスリングの実況中に辻よしなりアナが「もしかしたら、北斗選手の技を健介が使う事が有るかもしれませんね~」と言っていたのですが、解説のマサ斉藤が 「男子と女子は基本的に違うんで、女子の技を使う事は無いですよ。」とバッサリ。

しかし、数日後にしっかり 健介はノーザンライトボムを使いだして、思いっきりマサさんの顔を潰してましたね(笑)

マサさんの立場ないじゃん!!!

 

何はともあれ、この技を使い始めてからの健介は、みるみる頭角を表して来て 最初のうちこそノーザンライトボムを出しても カウント2で返される事も多かったですが、徐々に自分の物としていったのか・・・1997年後半頃からは、正しく一撃必殺の技にまで高めて これさえ決まればどんな相手でも一撃でも仕留めれる超強力な技へと成長させています。

ノーザンライトボムで橋本真也からIWGPヘビー級を奪い、その後 蝶野と武藤からも立て続けに防衛して 闘魂三銃士を3タテしているのだから、少なくとも実績面では完全に三銃士と肩を並べる所まで、健介は駆け上がっていきました。

 

健介とノーザンライトボムの出会いは、とてつもなく大きかったと言えますね。

 

とは言っても健介も北斗の技におんぶに抱っこではなく、そこに辿りつくまでに物凄い努力があったのは、バキバキのあの身体を観れば一目瞭然ですよね。

伝授されたノーザンライトボムにしても 最初こそ元祖の北斗同様に、ボディスラムの体勢から入る形だったのを、ブレーンバスターで持ち上げてから股下に抱え直して落とす形に改良。

試行錯誤を重ねた末に、最終的にはブレーンバスターの様に首を脇で抱えて、股下をすくい上げて持ち上げる現在のノーザンライトボムの形を完成させています。

 

この形を完成させたのが、1997年後半で正しくノーザンライトボムが一撃必殺となった時期です。

今ではノーザンライトボムを使う他の選手も、ほぼ健介式を使用しており首を固定しているから、ボディスラムから入るよりも断然 技を仕掛けやすいのは間違いないと言う事でしょうね。

 

健介がノーザンライトボムで、スティングを破りUSヘビー級のベルトを奪取した時は、ゲスト解説で北斗晶が来ていたのですが、妻に捧げるノーザンライトボムはドラマティックだったし、それを見て涙する北斗の姿もとても印象的で、正に鬼の目にも涙(失礼!)でした。

 

そんな健介夫妻を象徴する技も技のインフレには付いていけずに、2005年頃からは徐々にカウント2で返される事も目立ってきて、完全な一撃必殺とまでいかなくなったのは、残念な限りでした。