ダイビングヘッドバットの使い手は、昭和の時代からプロレス界には数多く存在していましたが、その中でも個人的に好きなのは、天山広吉のダイビングヘッドバットです。
ダイナマイトキットの様に華麗に飛ぶ訳でもなければ、抜群の飛距離がある訳でもありません。
しかし天山のダイビングヘッドバットには、他にはないヘビー級ならではの重さがありました。
1995年に凱旋して以降は、天山プレスに次ぐ2番目の必殺技と言う位置のポジションの技でしたが、それでもダイビングヘッドバットのフィニッシュ率は中々の物だったと記憶しています。
その中でも最もインパクトが強かったのが、凱旋直後の平成の乱と呼ばれる蝶野正洋率いる狼軍団に、天山が電撃加入した日
いきなり ダイビングヘッドバットで長州力からフォールを奪ったのは、かなり衝撃的でありました。
その後の長州の荒れっぷりも凄かったですが、狼軍団のフォローもあったとは言え、当時・若干24歳の天山があの長州をそこまでキレさせた事は凄い事。
ここからですね。
狼軍団に入った天山の快進撃が、長州フォールを皮切りに幕を開けたのは。
ただ天山のダイビングヘッドバットは好きな技ではあったんですが、自分の好きな選手がダイビングヘッドバットでやられた時は、少し残念だったんですよね。
技のポジション的に2番手の技だったので「どうせやられるなら天山プレスでやられて欲しかった」みたいな感じで。
とは言っても同型の技の使い手は数入れど、天山の頭の固さは業界でも有名だし、加えてあのヘビー級の肉体なので、ダイビングヘッドバットの破壊力に関しては、天山がプロレス界でもNo.1だったと今でも本気で思っています。
大一番でのフィニッシュになる事は少なかった技ではありますが、それでも橋本真也や蝶野正洋からシングル初フォールを奪った技でもありましたね。
残念ながら 現在はアナコンダバイスという新技を開発した事や、首に大怪我を負ってしまった事で、ダイビングヘッドバットでのフィニッシュはすっかり無くなってしまいましたが、これはしょうがない。
天山のダイビングヘッドバットは、1995年当時の飛ぶ鳥を落とす勢いだった天山広吉を象徴する始まりの技だったと思います。