1984年2月3日 この日は、新日本プロレスの歴史に残る事件があった日で、その事件をきっかけに一介の前座選手が、一躍注目を浴びる事となりました。
場所は札幌中島体育センター。
この当時の新日本プロレスは、アントニオ猪木が絶対的なエースに君臨していて、時代をこじ開ける為に若き日の藤波辰爾(当時・藤波辰巳) や長州力が連日しのぎを削っていた時代。
藤波vs長州の「名勝負数え唄」は、やれば必ず白熱した試合になる、新日本が誇るドル箱カードの一つで、この日は両者のシングルマッチが組まれていました。
勿論この日の札幌のお客さんは、この藤波vs長州を観る為に来ています。 そして供に永遠のライバルと認めあう本人達も大事にしているこの一戦には、並々ならぬ思いがあった事でしょう。
最初に入場して待ち受けるは、藤波。
引き続き、場内に長州のテーマ曲パワーホールが流れますが、いつまで経っても長州は、姿を現しません。
何かおかしい・・・と会場がざわつき出した頃、入場口で何者かに襲われている長州の姿が確認できたのです。
藤原喜明です!
当時の藤原は、その実力は認められながらも、見た目が地味な事もあってか、長らく前座要因であり全くの無名に等しかった存在。
その藤原がバールの様な物を片手に、長州を襲い血ダルマにしていたのです。
勿論これには、観客も対戦相手の藤波も何が起こっているか分からない状況。
長州陣営のアニマル浜口は、藤波に対して「お前がやらせたんだろ!卑怯者!」と罵りますが、これは藤波からしてみれば、まるで意味が分からない状況なのに、いきなりの卑怯者呼ばわりとは、寝耳に水だったでしょう。
しかし一介の前座選手が、新日本のトップクラスの長州を襲い、新日本の看板カードを台無しにしてしまうとは、正に前代未聞の事件。
普通ならこんな事は、有り得ない事です。
藤原は本来の性格上 こんな事をする人間ではないし、それはリングで立ちつくす藤波も薄々感づいていたと思います。
裏で手を引いていた黒幕の存在を・・・
黒幕と思われる本人が語った訳では有りませんが、その人物に対して忠誠心の高い藤原ならば「やれ!」と言われたらやるしか道は無かったと思われます。
あの人は「面白ければ何でも良い」というスタンスを貫いてきた人なので、藤原に命令を下したとしても不思議ではありませんから。
結局血ダルマにされながらも 何とか試合をしようと長州は、リングに上がりましたが、既に試合など出来る様な状態では無く 無効試合の裁定が下されます。
セコンドの肩を借りて長州は退場していく中で、場内からは「金返せコール」が巻き起こりますが、これは当然でしょうね。
お客さんは、藤波vs長州を観に来たのであって、決してこんな物をを観に来た訳ではありません。
藤波も試合をぶち壊された事に加えて、これをけしかけたトップに居る人間への不信感が爆発して かの有名な「こんな会社辞めてやる!」発言に繋がった訳ですが、あの温厚な藤波が山本小鉄にボディスラムを浴びせ 坂口征二にまで殴りかかると言う荒れっぷり。
怒り冷めやらぬ藤波は、雪の降る中タイツ姿のままで、外に飛び出しタクシーに乗り込んでいったのですが、あの藤波がここまで感情をあらわにするのは珍しい事。
この時の藤波の怒りは、察するにあまりあります。
藤原をけしかけれる様な人物は、ぶっちゃけアントニオ猪木しか居ない事を分かった上でこその怒りの感情だと思われます。 この後は暫く猪木とのタッグはギクシャクしたりと明らかな不信感があった筈なんですが、こんな事が有りながらも 後年まで強烈な猪木信者だった藤波には、少々疑問も残ります。
後にちゃんと和解でもしたんでしょうか?
ともあれ この事件以降は「雪の札幌では何かが起こる」とのジンクスも生まれてしまい、結果的に万年前座だった藤原がテロリストとして大ブレイクを果たす事になります。
ちゃんとした技術を持った選手が、しっかりと評価されブレイクを果たしたのは良い事ですが、何がブレイクのキッカケになるかは本当に分かりません。
藤原本人ですら、こんな事をしでかしてしまってブレイクに繋がるとは思ってもいなかったでしょうね。
プロレスは何が起こるか分かりません。
だからこそプロレスは面白いのかも知れませんね。
1984年2月3日は、新日本プロレスの歴史に残る「雪の札幌テロ事件」があった日で、その事件をきっかけに、一介の前座選手が一躍注目を浴びる事となった日でした。