藤波辰爾の雪崩式ドラゴンスクリュー

一世を風靡した足殺しの技 ドラゴンスクリューですが、開発者は藤波辰爾。

これは間違いありません。

しかし以前は、相手を転がすけの地味な技という印象で、ドラゴン殺法の中でも知名度は低い方でした。

 

そんなドラゴンスクリューが、プロレス界で一躍大流行技となったのは、1995年の武藤敬司vs髙田延彦戦で武藤が高田の膝を粉砕したのがきっかけですが、そのブームに乗るかの様に本家藤波も今まで以上にドラゴンスクリューの使用頻度を増やしていきます。

 

本家なんだから どんな頻度でどう使おうが藤波の勝手なんですが、技の使い手としての知名度やイメージでは、本家の藤波の方が圧倒的に下回るという何とも珍しい現象が起こっていました。

この時期から武藤は、ムーンサルトプレスの使用頻度も減らしていき ドラゴンスクリューから足4の字固めの連携を必殺パターンとして確立させた事で、実際に武藤が本家だと思っていた人も多かったようです。

 

武藤のドラゴンスクリューは更に猛威を振るいまくり、翌年の1996年には本家の藤波も使用した事のない雪崩式ドラゴンスクリューまで開発した事で、ドラゴンスクリューは完全に武藤敬司の技というイメージが定着した様な感じでした。

藤波も負けじとと一本背負い式ドラゴンスクリューを開発したりもしましたが、残念ながら こちらは全く定着せず 藤波自身も余り使用する事はなくなってしまい、悲しいかな本家でありながら完全にドラゴンスクリューで、武藤に遅れをとっていた状況。

 

そうこうしている内に時は流れ1999年

既にトップ戦線からは一歩引いた位置にいた藤波に対して、武藤はIWGP王者としてドラゴンスクリューを軸とした足攻めを武器に、安定感抜群の新日本のエースに君臨。

そんな2人が、G1公式戦で5年ぶりの対戦をする事に。

 

試合は共に得意とするドラゴンスクリューを打ち合う展開となりますが、試合終盤にコーナーに上がった武藤に対して それを追い掛けてセカンドロープまで駆け上がった藤波が、武藤の足を取るや まさかの雪崩式ドラゴンスクリュー!

ドラゴンスクリューの元祖は藤波

しかし雪崩式となると元祖は武藤

その藤波が、雪崩式ドラゴンスクリューを披露とすると言う 元祖なんだかパクリなんだか分からない状況になってしまいましたが、この時の一発は武藤にとっては、ウィークポイントである膝に致命的なダメージを与える事になりました。

 

普通ドラゴンスクリューは膝を捩って回転させて ダメージを与える技なのですが、この時は後方に巻き込む形で、リングに思い切り膝から叩きつけていたので かなり痛そうでした。

喰らった直後の武藤の悶絶っぷりが、それを物語っていたと思いますが、ここから膝固めに繋げられてIWGP王者は、苦悶の末に屈辱のギブアップ負けを喫していしまいます。

この時の一撃は、これまでの全ての選手が見せた 雪崩式ドラゴンスクリューの中で一番痛そうだった雪崩式ドラゴンスクリューだったと思います。

 

ドラゴンスクリューの開発者でありながら、第一人者の座を奪われた藤波の意地が、ここで見えた様な気もしました。

武藤が開発した 雪崩式を逆にやり返して武藤に勝利すると言う所が、最高に皮肉が効いていますが、果たして藤波にどう言う意図があって 雪崩式を繰り出したのかは正直分かりません。

雪崩式がカッコイイからやっただけかも知れないし、試合の流れでそういう場面になったからやっただけかも知れません。

 

ただ それでも藤波の雪崩式ドラゴンスクリューは、インパクト抜群でしたね。

 

 

補足しておくと 武藤の雪崩式は、自身はコーナーには上がらずに下から仕掛ける形だったのに対して、この時の藤波はセカンドロープまで登っていたので、それだけの違いが有れば、この雪崩式ドラゴンスクリューは”藤波式”のオリジナルと言えなくも有りません。