マイク・バートンのゴールデンレフト

1990年代後半から全日本プロレスで、活躍していた外国人マイク・バートン。

彼の必殺技は、バートンディザスターなど豪快な大技が幾つかありますが、個人的には派手な大技よりもバートンには、やはりゴールデンレフトのイメージが物凄く強いです。

 

相手の至近距離から、懐に入り込む様に片膝をつきながら、相手の腹を目掛けて左のボディブローを打ち込む技。

名前の由来はそのままで、黄金の左=ゴールデンレフト。

 

実にシンプルな技ですが、バートンの代名詞とも言える技で、結構好きな技でした。

基本的にプロレスに置けるパンチは反則ですが、バートンはグローブを着用しているし顔面に打ち込む事は無く あくまでボディ狙いなのでこれは反則でも何でもないです。

 

バートンが初来日前の1998年に、WWF主催で開催された格闘技トーナメント「ブロール・フォア・オール」では、当時全日本から少し離れていたスティーブ・ウィリアムスと対戦して何とゴールデンレフトで、衝撃のKO勝利を収めた上に、大会にも見事優勝しています。

 
「あのウィリアムスをKOした男」としてバートンの名声は、一躍この日本にまで響き渡る事になりました。 当時はインターネットも殆ど普及していない時代で、少なくとも日本では全くの無名だったバートンだったので、これは驚きのニュースでしたね。

三沢光晴や川田利明でもあれだけ手を焼いていたウィリアムスが、KO負けしてしまうなんて世界の広さを思い知らされた物です。

  

現代ならば、また違った見方になると思いますが、この当時は本当にこんな感じでした。

 

この活躍が認められて、後に全日本プロレスに呼ばれ常連外国人になったのですが、何せ元・三冠王者のウィリアムスを、完全KOしたのだからバートンの左ブローは、受けが強いと言われる全日本勢にとっても恐怖の的でした。

ボム系やカッター系の技を使いこなしていたバートンですが、変に大技に走らずにゴールデンレフトをフィニッシュにしても面白かったと思うんですけどね。

 

全日本参戦後のバートンは、ジョニー・エースより下くらいのポジションで、トップ勢からはフォールを奪った事は無く、ウィリアムスにもリベンジを許していますが、全日本のリングではこれが妥当な結果と言う事でしょうか・・・

もし再びゴールデンレフトで、ウィリアムスをKOしていたら、全日外国人の序列は変わっていたかも知れませんね。

大量離脱後の全日本では、川田や天龍源一郎からフォールを奪っていますが、その時にはもう手遅れでした。 その後全日本からは姿を消してしまいます。

 

残念なのは、来日を重ねるに連れてゴールデンレフトに、従来の迫力が無くなっていった事。 当時の日本マット界では、パンチと言う攻撃自体が余り受け入れられなかったのかも知れません。(猪木や天龍は別)

 

それだけに、後年バートンがPRIDEに出場した時には、是非このゴールデンレフトでKO勝利して欲しかったんですが、やはり、そうそう巧くはいきませんでした。