中西学のヘラクレスカッター

「アルゼンバックブリーカーで勝たな意味ないんじゃ!」

かつての中西学は、こう言って頑なにアルゼンチンバックブリーカーで勝利する事に拘り続けて来ました。 そんな中西もそれだけでは限界があると感じたのか・・・2002年にはジャーマンスープレックスでフィニッシュする事も増えて、そして2003年にはまた新たな技が生まれる事になりました。

 

それがヘラクレスカッターです。

 

このヘラクレスカッターが誕生した経緯と言うのが、なかなか面白くて 新日本プロレスに当時参戦していたウルティモ・ドラゴンは、何故か中西とタッグを組む事が多かったんですよね。

中西とドラゴンと言う これまで何の接点もなく 階級も違うければスタイルも違う この2人が何故タッグを組んだのか?

恐らく会社側の意向だったと思っています。

「素質は最高」と昔から評価されていながらも イマイチ波に乗れない中西を見かねて、会社側が「プロレスを知る男」として闘竜門を立ち上げ成功に導き 多くのスターを輩出したドラゴンの手腕を見込んで、中西の教育を任せたのではないか・・・とそう思っています。

 

ドラゴンとしては新日本所属でも無いのに、何で同じ歳の人間の面倒を今更みなきゃならんのだ?と思ったかも知れませんね。

中西は、何で余所者のJr.選手とタッグを組まなきゃアカンのや・・・と思っていたかも知れません。

 

両者の腹の内までは分かりませんが、今まで接点も無かった両者だけに、タッグに一番大事な信頼関係と言うのは間違いなくありませんでした。

組まれたカードと言う事で、渋々タッグを組んではいた物の ドラゴンは大人の対応をしていましたが、中西の方が不満をモロに出していた様に思います。

 

 
やはり信頼関係の無いタックは、なかなか巧くいかず常にギクシャクしていて、どこかぎこちないタッグでした。

ある日のタッグマッチでの試合で、中西&ドラゴンは度重なる誤爆で、中西がドラゴンに突っかかる場面もあり、両者の間に最高潮にミゾが入ってしまい 空中分解は決定的になってしまった事がありました。

しかし それでも試合だけは成立させようと、中西が永田裕志に対してトドメとばかりに、アルゼンチンバックブリーカーを繰り出した所で、近づいて来た怒り心頭のドラゴンが永田の足を取ると左右に振って、アルゼンチンを無理やり崩す形で 中西もろとも背後に倒してしまったのです!!

ドラゴンの突然の行動に、驚く中西と思いの他に大ダメージを受けた永田。

 

この時の形こそが、偶然にもヘラクレスカッターだったのです。

この当時は中西も何が何だか分からなかったでしょうが「今の結構良い技だったんじゃないか?」と内心思っていたのだと思います。

とりあえず大ダメージを受けて倒れている永田をフォールしてみたら、完璧な3カウントが入っちゃたんで、偶発的に新技が完成した事でドラゴンも上機嫌。

「今の技いいじゃん!」とその場で、ヘラクレスカッターと命名。


ここに新ツープラトンが完成しました!!


このドラゴンの行動が、計算済みの物かは不明ですがヘラクレスカッターは、実は最初はツープラトンだったんですね。

この後も何度かはツープラトンとして使用しており、ヘラクレスカッターの誕生をきっかけに、両者の溝は完全に埋まり、タッグチームとして正式に機能して行く事になりました。

 

その後G1クライマックス開幕戦では、宿敵の高山善廣と対戦した際に、ツープラトンではなく何と単体でヘラクレスカッターを仕掛け、見事に高山を撃破したのです!

 
タッグ専用だった技がシングルでも使える中西学の新必殺技に、進化を遂げた瞬間でした。

 

しかし残念ながら、ドラゴンも新日本参戦に一区切りを付けて 新日本を去る日がやって来てしまい 中西&ドラゴンのタッグは解散となってしまいましたが、この頃になると2人の間には友情すら存在していたと思います。

ドラゴンが残していったヘラクレスカッターは、間違い無くプロレスラーとしての中西の幅を広げる事に成功していたでしょう。

 

ヘラクレスカッターと同系の技は、太陽ケアのH50や ジャイアント・バーナードのスピニングパンケーキ等 中西がヘラクレスカッターを開発する以前から存在していましたが、偶然の産物でツープラトンとして生まれた以上は、誕生の経緯が全く違うので、これはパクリとは言えませんね。

中西学のオリジナルです。