棚橋弘至の金華山ジャーマン

プロレス界で一撃必殺の技として、古くから使用されてきた必殺技ジャーマンスープレックス。

そのジャーマンの使い手は、各団体にキャリアを問わず多く存在しますが、若き日の棚橋弘至もフィニッシュとしてジャーマンスープレックスを多用する一人でした。

 

今では、膝の負傷やコンディションの悪化により殆どジャーマンは使用しなくなりましたが、ヤングライオンの頃は見事なハイブリッジで相手を投げ切る事も良くありました。

殆どの選手はジャーマンをする際は、つま先で立ってブリッジを利かせて投げるのですが、棚橋の場合は足の裏を全部マットにつけながら投げて、相手をホールドする際に、改めてつま先立ちになってブリッジすると言う形を取っていました。

いわゆる「ベタ足」で投げるジャーマンですが、評判は余り宜しくありませんでしたね(汗)

 

しかし若き日の棚橋は、ヤングライオンとは思えない肉体を誇っていたので、そのジャーマンにはそれなりの説得力を持ち合わせていました。 2001年にG1タッグリーグに抜擢された際には、何とヤングライオンの身でありながら獣神サンダー·ライガーからもフォールを奪った事もあります。

 

そして棚橋のジャーマンスープレックスが、 金華山ジャーマン となったのは2002年からの高山善廣のフリー参戦がキッカケです。

高山の一撃必殺の得意技は、その高身長から繰り出すジャーマンスープレックスで、奇しくも棚橋と技が被ってしまいましたが、高山のはその高身長から繰り出す為に、世界一の山になぞらえて、エベレストジャーマンと呼ばれていました。。

それに対抗するかの様に、同じくジャーマンを得意とする中西学が「お前がエベレストなら俺は富士山や!」と自らのジャーマンを富士山ジャーマンと命名。

 

更に、追随するかのように棚橋も自らのジャーマンを金華山ジャーマンと命名してしまいました。

金華山とは、棚橋の故郷である岐阜県のシンボルとも言える標高329mの山。

 

この頃から自分にゆかりの”山”を頭に付けて ○○○○ジャーマンと言うのが、プロレス界ではプチ流行しはじめたのですが、みんなして高山に影響され過ぎです(笑)

 

しかし技名に付いている金華山の標高は329m。

8849mのエベレストに比べたら、いささかスケールは落ちる様な気もしますが、そこは深く気にしてはいけない部分です。

なぜならば 金華山ジャーマン で、勝負を決めても何故か 表記はジャーマンスープレックス(原爆固め)と毎回なっていて、 金華山ジャーマン の名称は、清々しい位にスルーされていましたから。

 

悲しい事に 金華山ジャーマン と言う技は、あくまで本人自称なだけで、何故だか分かりませんがメディアには、全く浸透していないようでした。