天龍源一郎のパワーボム

昭和を代表する名レスラー 天龍源一郎。

天龍の必殺技と言えば、2000年代に入ってからは53歳がメインになっていましたが、やはり多くの人は天龍と言えばパワーボムを連想するでしょう。

 

テリー·ゴディが本格的に日本に持ち込んだパワーボムを自ら受ける事で、自分なりの改良を加え自分の物としたのは、有名な話ですが、ジャンボ鶴田との一連の闘いでのパワーボムが、記憶に焼き付いている人も多いと思います。

1989年の鶴田との三冠戦で決めたパワーボム2連発は、今でもプロレス史に残る名シーンです。

 

当時は新日本と全日本で、日本マットの人気を二分していた時代ですが「天龍のパワーボムを新日本系の選手が受けたらどうなるんだろう?」とあれこれ 妄想を膨らませた物です。

これは当時のプロレスファンなら誰もが思い描いた妄想かもしれませんが、1990年代に入ってから全日本を退団してWARを旗揚げして新日本に乗り込んで来た時は、もう興奮ものでしたね。

 

必殺のパワーボムで、並みいる新日本のトップ選手から次々とフォールを奪う天龍の強さとパワーボムの破壊力には、ガチガチの新日本ファンからすれば脅威でしたが、新日本の選手達も決してパワーボム1発ではやられずに、3~4発ものパワーボムを喰らい敗れていたので、勝った天龍は勿論スゴイ!となったのですが、敗れた新日本の選手達も天龍のパワーボムをあれだけ返せるなんてスゴイ!と言う印象でした。

必殺技を返されて弱い…とはならずに、逆に何発も返してスゴイ!と思わせるだけの説得力が、天龍のパワーボムには既にあったと言う訳です。

 

ゴディのとは違って 叩きつける事よりも押さえ込む事に重点を置いたと言う 天龍のパワーボムは、破壊力うんぬんの話ではなく「エビ固め」自体に、凄まじい説得力が溢れてそり、この流れは弟子の川田利明にも受け継がれていましたね。

何がなんでもこれで決めてやる!と言う気迫が見てとれるのが、必殺技たる所以だと思います。

 

現代では、普通のパワーボムをフィニッシュにする選手も余り居なくなってしまった事もありますが、日本のプロレス界においてパワーボムの第一人者と言えば、やはり天龍源一郎以外は有り得ないでしょう。

 

晩年の天龍は、パワーボムを繰り出す事も難しくなっていましたが、2016年の引退試合で腰砕けになったとは言え、最後の力を振り絞って繰り出したパワーボムには、対戦相手のオカダ・カズチカの受けが上手かった事もありますが、天龍の心意気を見た気がしました。