今では、すっかりポピュラーな技となったフィッシャーマンバスターですが、初めて公開されたのは、今から27年も前の1994年になります。
1994年に初開催されたSUPER J-CUPで、獣神サンダー・ライガーが大会用の秘策として考案し 大会直前の大谷晋二郎戦で初公開。
それまでは、フィッシャーマンズスープレックスは広く浸透しており多くの選手に好まれて使用されていましたが、1994年と言えば垂直落下式の技が普及して来た頃なので、垂直落下式のフィッシャーマンズスープレックスが開発されたのもある意味 納得ではあります。
とは言ってもスープレックスを普通に反り投げるのではなく 垂直に落としてしまうと言うライガーのアイディアには、当時驚かされた物です。
その後 本家フィッシャーマンズスープレックスが霞むほどの勢いで、フィッシャーマンバスターは、あっという間にプロレス界に浸透していき 一時期かなり多くの選手に使われる事になります。
ただ残念なのは、初公開で大谷を撃破して J-CUP一回戦でもハヤブサをフィッシャーマンバスターで撃破したまでは良かった物の同大会の準決勝 ザ・グレート・サスケ戦で、3度目の公開にして早くもフィッシャーマンバスターは、カウント2で返される事になってしまいます。
その後もしばらくは この技がフィニッシュになる事は、度々ありましたが新必殺技として考案された技が、三回目でいきなり返されてしまうというのは、どうなんでしょう?
最初から格上の選手に挑戦して 新必殺技が惜しくも返されるのは良く有る事ですが、当時からライガーは既に、日本プロレス界Jr.ヘビー級の頂点の選手
ましてや当時のサスケは、全国的にはまだまだ無名の選手で、ライガーと比べたら思いっきり格下の選手
その選手に、いきなりフォールを返された事で、残念ながらこの時点で若干ながらも必殺技としての神通力は、失われてしまった様に感じます。
勿論サスケの予想外の奮闘があってのこそだし、この頑張りがあったからこそサスケの全国区への躍進 J-CUPの大成功へと繋がったのは、間違い無いので結果的にはオーライなんですけどね。
最もこの数年後には、ライガー自身のフィッシャーマンバスターの使い方も少しずつ雑になって来て、2連発~3連発は当たり前になりながらも それでも3カウントを奪えないと言う事態になってしまいます。
更に雪崩式にまで進化させたのは、必然的な流れですが相対的に通常のフィッシャーマンバスターでは、もう必殺技としては通用しないと言う証明でもあるので、3度目の公開でサスケが返したからどうのこうの問題では無く 遅かれ早かれ必殺技では無くなる運命だったのかも知れません。
まぁそれはそうと ライガーがフィッシャーマンバスターの体勢に入る前に、まず走って来た相手の腹をサイドキックで蹴るムーブが、何気に好きでした。
これは言わずと知れた本家フィッシャーマンズスープレックスの開発者・小林邦明のお決まりのムーブなんですが、これは例え垂直落下式に改良してしまったとしても ライガーなりの本家へのリスペクトなんでしょうね。