2005年7月11日は、破壊王・橋本真也が逝去した日です。
この日は多くのプロレスファンが、悲しみに暮れました。
この時期の橋本は、肩の負傷で満足のいくファイトも出来ず 自ら旗揚げしたZERO-ONEを追われ 冬木未亡人との不倫や離婚 その行く末を気にかけていた人は、多かったと思います。
そんな中で流れた橋本真也・急死の訃報。
死因は脳幹出血でした。
プロレス界に、激震が走りました。
これまで日本のプロレス界で、第一線でバリバリやっている選手が、急死するなんて言うのは力道山まで遡らないと無かった事なので、とんでもない衝撃でした。
新日本のエースで、ミスターIWGPとまで呼ばれた男が、自ら作った団体からも追放され 晩年のコンディションの悪化・怪我と最後は病に倒れてしまうと言う 余りにも悲しい最後でした。
いや やりたい事をやって生きたのだから 本人は幸せな人生だったのかも知れません。
しかし不倫の末に離婚は、薫夫人やまだ子供だった大地の事を考えると 決して許される行為ではありません。
道場でのイタズラや 選手会費の使い込みなど人間的には、色々と問題のあった性格かも知れません。
でも本人には全く悪気が無いと言うか、全てが子供のイタズタの延長戦上なんですよね。(そこが、厄介と言えば厄介なんですが)
虫嫌いの小島聡の部屋に、セミを200匹まいたり
エアガンで雀を撃ち落として天山広吉に食わせたり
エアガンで近所のうるさい爺さんを狙撃したり
全裸で道場の近所を練り歩いたり
犯罪スレスレの物もありますが、全て悪意は無かったらしいのが有る意味凄い・・・
現に橋本の事を悪く言う人は、殆ど居ないのが彼の人柄を物語っています。
人間的には、ともかくプロレスラーとしては間違いなく一流で、橋本ほど感情移入出来るレスラーも居なかったと思います。
橋本は本当に、数々の名勝負を作り上げました。
小川直也との5度に渡る世間にも届いた抗争
お互いに絶対に後ろには、倒れようとしない長州力との意地の張り合い。
流出したIWGPを取り戻すべく立ちあがった 高田延彦との対抗戦。
2度も敗れるも執念で壁を乗り越えた天龍源一郎との世代を超えたライバルストーリー。
どれこれも橋本らしい名勝負です。
橋本のあの激しい試合が、観れなくなると思っただけで、当時は本当に悲しかったし プロレスであれだけショックを受けた事も有りませんでした。
あれから15年の月日が流れ 今や息子の大地もプロレスラーになり大日本プロレスの王者にまでなりました。
橋本の弟子だった選手も未だ 第一線で頑張っています。
橋本が作り上げたZERO-ONEは、何度か名前を変えながらも 大谷晋二郎が中心となって頑張って存続させています。
あのまま橋本が存命だったら
「どんなプロレス人生を送っていたのだろう?」と考える事も有りますが、今も橋本の残した忘れ形見は、様々な場所で息づいています。
破壊王の意思は、今もプロレス界に生きています。