GHCタッグ王座が生まれた日

2001年10月19日は、ノアにGHCタッグ王座が生まれた日です。

 

全日本プロレスを退団した三沢光晴が中心となり、2000年に旗揚げされた新団体ノアですが、周囲の要望や団体の活性化の為に、2001年4月にGHCヘビー級が新設。

ヘビー級王座が作られたとなれば、次は当然タッグ王座も・・・となるのが当然の流れな訳ですが、同年10月に待望のGHCタッグ王座も遂に新設され ノアのタッグ戦線活性化に注目が集まる事となります。

 

初代王者を決めるべくタッグトーナメントが開催され、決勝に駒を進めたのは、秋山準&斉藤彰俊とベイダー&スコーピオ

ベイダーはこれまで各団体で、様々な実績を残してきた誰もが認める強豪外国人ですが、歴史に残るGHCタッグの初代王者ともなると、この組み合わせならば正直 秋山組の優勝が確定だと思っていました。

シングル王座のGHCヘビー級の方は、ノアの象徴でも有る三沢光晴が初代王者となったので、タッグは次世代の旗手である秋山準が初代王者に輝くのが、一番しっくりくるかなと思っていたし、当時の秋山は既に三沢や小橋と並ぶ実力を身に付けていたので、例え相手がベイダー&スコーピオと言えど充分に攻略出来る程の”格”はもっていましたから。

 

しかし 全日本からともにノアに移籍をしてきて ノアの外国人エースとなっていたベイダーの壁はブ厚かった。

当時GHCヘビー級王者となり ノアの頂点に立っていた秋山も意地を見せ、ベイダーの巨体をエクスプロイダーで投げるなど奮闘しましたが、最後はチョークスラムや投げっ放しジャーマンの猛攻にさらされ、最後は凄まじい高さからのスカイハイチョークスラムで撃沈。

 

ベイダー&スコーピオが、初代GHCタッグ王者に輝きました。

ベイダーは勿論のこと、スコーピオとて王者になっても何ら違和感の無い実力を持っている選手でしたが、まさか初代王者という重要な位置付けに、外国人選手が輝くとは思いもしませんでした。

 

意外と言えば意外ですが、誰であろうと実力のある物ならば、相応なポジションに着く事が出来るのは、これから新時代のプロレスを作りあげようとしていたノアのプロレスを象徴していた様な気もします。

ベイダーの実力に関しては、誰もが分かっていましたが、素質はありながらも国内では、これまで実績に恵まれなかったスコーピオが歴史に名を残す初代王者に輝いたのは、嬉しかった事も覚えています。

 

GHCヘビー級王者の秋山としては悔しい結果でしたが、これから迎えるノアの新時代のプロレスのタッグ戦線のスタートとしては、なかなかインパクトのある船出だったと思います。

最もこの後に、初代王者が初防衛戦でベルトを落とすのも なかなかインパクト大でしたが・・・

 

2001年10月19日は、ノアにGHCタッグ王座が生まれた日でした。