テッド・デビアスのミリオンダラーバスター

旧・全日本プロレスの技と言えば、どんな技をイメージするでしょうか?

多くの人は四天王に代表される垂直落下式やカタイ打撃、豪快な投げ技を思い浮かべる人が多いんじゃないでしょうか?

 

でも勿論全員がそんな技ばかりを使う訳ではないし、四天王達だってクラシックな技も使うし地味な技も使います。

ただ激しい技の印象が強過ぎるだけです。

 

1990年代の全日本プロレスは、そんな時代だったのです。

外国人選手にしても身体の大きい選手や、怪物みたいな選手 そして その殆どが強烈な必殺技を駆使して日本人選手を苦しめて来ましたが、派手さも危険度も決して高く無い必殺技を好んで使用する選手も中には居ました。

その一人が、1993年に来日したテッド・デビアス。

 

デビアスは80年代に全日本プロレスに来日して、スタン・ハンセンとタッグを組み活躍していましたが、その後はWWFに移籍してミリオンダラーマンのキャラクターで、スーパースターの座に駆け上がりました。

そんな選手が、1993年に再び全日本に戻ってきたと言う事が、なかなか凄い事ですが、そのデビアスの必殺技がミリオンダラーバスター

 

コブラクラッチに極めておいて、足を相手の内股にかけて後方に倒れ込み 後頭部をマットに叩きつけると言う技で、要するにコブラクラッチを極めながらの河津落とし。

ハッキリ言って中々、地味な技です。

しかし頸動脈を絞められつつ 腕を極められているので当然、相手は受身を取る事が出来ずに、強烈に後頭部を打ちつけてしまいます。

地味ではあるが、効果抜群なテクニシャンとして知られるデビアスらしい必殺技で、なんと若き日の秋山準も、デビアスと対戦した際には散々、翻弄された挙句にミリオンダラーバスターの一発で敗れています。

 

当時の秋山は、まだキャリアも浅く全日本5強と呼ばれる前の時代でしたが、それでも秋山が、完敗と言って良い内容で、敗れさったのはちょっとした驚きでした。

90年代前半の全日本は、海外遠征も行わず鎖国状態を保っていた為に、毎回同じ顔ぶれとの試合が当たり前の事だったので、秋山世代がデビアスの様な職人タイプのレスラーと闘える事は、皆無でした。

「良い経験になった」と本人も後に語っています。

小川良成や渕正信ら教科書の様な選手は居ましたが、アメリカンとはリズムの取り方から緩急の付け方まで、全く違いますからね。

 

カウント2の応酬が、当たり前だった全日本で派手な大技を出さずに、たった一発のミリオンダラーバスターで勝負が決まった事は、非常に大きな意味があったと思います。

そこに至るまでの試合運びや必殺技を出すタイミングで、例え垂直に落とさなくても、例え高角度から落とさなくても 地味な技でも3カウントは取れるんだ・・・と言う事をミリオンダラーバスターが証明してくれた様に思います。

 

あの時に若い秋山だけでなく、三沢光晴や川田利明がデビアスが闘っていたらどうなっていたんだろう・・・と考える事があります。

あんなにタフな三沢や川田でも、デビアスの巧みな試合運びの前に翻弄された揚句に、ミリオンダラーバスターの一撃でフォールを奪われてしまうんでしょうか・・・?