田中将斗のスライディングD

武骨なスタイルとは裏腹に、意外にも様々な技を使いこなす田中将斗ですが、田中が一番自身を持っている最高の必殺技がスライディングD。

 

座り込む相手に正面から走り込み、スライディングしながら エルボーを打ち込む技で、現在これと似た様な技は、多数の選手が使用しています。

それらの技が複数 世に出てきたのは、恐らく田中がスライディングDを開発してからだと思います。

 

単純にスピード感の溢れる”見映えの良い技”と言うのもあるでしょうが、この頃の田中がスライディングDを武器に、凄まじい活躍をしていたと言うのもスライディング○○と言う技が流行った要因の一つかも知れません。

 

それまで田中が、フィニッシュにする事が多かったのが、弾丸エルボーでしたが、2007年の火祭りに向けて考案した秘策が、このスライディングD。

ZERO1の看板リーグ戦 火祭りは既に2007年に優勝済みでしたが、スライディングDを編み出してからは、更に勢いが加速して2008年と2009年の火祭りも連覇。

“三連覇”と言う未だに、誰にも破られていない記録を打ち立てています。

 

そして田中にとって追い風となったのは、当時のZERO1は新日本プロレスとの対抗戦の真っ只中で、連日にわたり田中の試合が地上波で放送されたし、紙面でも多くのページが割かれた事で、田中将斗と言うレスラーを知らなかった人の目にも止まるようになります。

スライディングD系の技を使いだした同業者のプロレスラーは、そんな事は関係なく田中の存在くらい誰でも知っていたと思いますが、プロレスファンとなれば話は別。

新日本しか見ない人や、ZERO1やFMWを見た事の無い人も当然いるので、そんな層にも田中の存在とスライディングDの存在をアピール出来たと思います。

 

何せ永田裕志、中西学、真壁刀義、後藤洋央記、内藤哲也、金本浩二ら新日本の誇る錚々たる顔ぶれからスライディングDでフォールを奪っているのだから、そりゃあ同業者にもファンにも注目はされるでしょう。

 

この頃からスライディングラリアットや、スライディングアックスボンバー、終いにはスライディングH(張り手)なんて技が、プロレス界に出現してきたのだから、当時の田中が新日本で活躍していたのは大きかったのでしょうね。

 

ちなみに、技名が決定した経緯は
田中が「なんか良い技名ないですか?」と沖田アナに尋ねた所
うーん。スライディングDとかどうですか?」
スライディングするからやろ。また適当やな。 じゃあ仮でスライディングDで良いですよ」
と軽いノリで仮決定したのですが、いつの間にか本採用になっていたようです。

 

この当時は、田中はスライディングDと言う名前を気に入らなかったみたいですけど、スライディングD…結構カッコいい技名なので好きです。

勿論見た目も含めて好きな技です。