小島聡のラリアット

小島聡の必殺技と言えばラリアット。

これは1996年の凱旋帰国から一貫してこだわり続けてきた、小島が最も大事にしているフィニッシュホールド。

 

ヤングライオンの頃の小島は、そんな素振りをちっとも見せていなかったのに、凱旋してからは”世界一のラリアット”と称する位に、ラリアットに対して自信と誇りを持っていました。

ただ本家のスタン·ハンセンは別格としても、佐々木健介や小橋建太ら日本でも有数のラリアットの使い手が、当時は全盛期だったので、小島のラリアットを世界一と呼ぶには、少々言い過ぎな気がしてました。

今になって小島本人も「自分より凄い選手は沢山いたのに、若気の至りだった」と振り返っていますが、まぁ自信を持つのは良い事ですね。

 

2002年の新日本退団までは”ぶん殴りラリアット”と自ら呼んでおり、相手をマットに叩きつけるような感じで、打っていくのが特長で、師匠の健介の様に一試合で何発もこれでもかと言う位に、打ち込んでいくスタイルでした。

そのスタイルに変化が現れたのが全日本移籍後で、同年6月に本家ハンセンの元に、ラリアットの極意を伝授して貰うべく小島が訪れたのです。

 

ハンセンに直接ラリアットを教わりに行ったのは、意外にも小島が初めてと言う事で、ハンセンはこれを快く迎え入れてくれました。

ハンセンのラリアットを伝授されるのが小橋ではなく、全日本に入団してばかりの小島と言うのは意外ですが、これは当時のハンセンが既に引退していたと言うのが大きかったのでしょうね。

加えて当時の小島は、将来の全日本を支える事になるであろう存在だったのも、ハンセンが快く受け入れてくれた理由のひとつかも知れませんね。

 

このハンセンの指導で、技術的な面やラリアットの使う際の心構えまで、ラリアットの極意を教わった訳ですが、これ以降小島のラリアットは、カチ上げる様なフォームに変わり、決して乱発はしない使い方。

そして一撃の破壊力が、確実に向上していました。

 

この時にハンセンに弟子入りした事が、現在の小島を作ったと言っても過言では無いし、後の三冠ヘビー級奪取、チャンピオンカーニバル優勝、IWGPヘビー級奪取、G1クライマックス優勝と言う輝かしい実績の原動力になったのも言うまでもありません。

 

新日本プロレスにフリー参戦した際のG1クライマックス決勝戦で、棚橋弘至に見舞ったラリアットは物凄いの一言。

年齢とキャリアを重ね謙遜する事を覚えた小島ですが(笑)現役選手の中では、No.1のラリアットの使い手だと思います。

 

今では第一線で闘う事の少なくなった小島ですが、ラリアットさえ決まれば今でも上位陣からも普通にフォールを奪えるのは、大きな強みですね。