高山善廣のエベレストジャーマン

プロレスの芸術品ジャーマンスープレックス。

その使い手は、若手からベテランまでかなりの数に登りますが、その中でも説得力と言う面で群を抜いていたのは、月並みですがやはり高山善廣だと思います。

早いジャーマン、美しいジャーマン、低空のジャーマン

使い手によって様々なジャーマンも有りますが、196cmの長身から繰り出す高角度のジャーマンは、説得力に溢れていました。

 

元々Uインター時代からジャーマンは、得意としていた物の当時は線も細かった事もあり、破壊力不足で必殺技と言うには、まだまだでした。

その後 全日本プロレスに移籍し ジャイアント馬場の元で、いわゆるU系ではない純粋なプロレスにドップリ浸かる事になるのですが、自信を持っていた自分のジャーマンも川田利明らには、通用せずに直ぐに、立ち上がられ反撃されてしまう事に大きなショックを受けていたようです。

でも それもその筈。

当時の全日本のトップ勢は、ゲーリー·オブライトの殺人ジャーマンを何度も受けていたし、毎日の様に厳しい投げの受け身を取り続けていたので、国内の団体で最も受け身に優れた選手が揃っているのだから、それもしょうがない事。

 

全日本プロレス参戦後しばらくは、ギロチンドロップをフィニッシュにしていた時期があり それはそれで良かったのですが、本人としてはやはりジャーマンスープレックスに、強い拘りがあったのでしょう。

その辺りから全日本に顔を並べる巨漢選手と張り合う為に、細身だった高山の身体はガッシリとしたプロレスラーらしい体型に変貌していくのですが、それと同時に得意としていたジャーマンの破壊力も桁違いになっていきます。

 

2000年には、タッグながらも小橋建太からもジャーマンで、フォールを奪うまでになりました。

身長だけでなく体格も完全なヘビー級と変身した高山のジャーマンは「高山」と言う名前や プロレス界でもトップクラスの高角度である事から、いつしかエベレストジャーマンと呼ばれる様になり、文字通りの必殺技に成長します。

この技で、IWGP GHC 三冠と全てのメジャータイトルを獲得したのだから、文句なく必殺技と言えるレベルにまでジャーマンを昇華させたと言えるでしょう。

 

中でも三沢光晴や小橋建太に放つ一撃が、容赦ない角度でインパクト絶大でしたが、これはやはり二人の受けの強さに起因しているのでしょうね。

凄いジャーマンを打つ選手は幾らでも居ますが、持って生まれた日本人離れした体格の高山なので、やはり見た目的にも迫力的にも段違いだったと思います。

 

高山の「エベレストジャーマン」がヒットしたから 当然の様に富士山ジャーマンや金華山ジャーマンなどの無駄に、山を名前を冠したジャーマンがプチ流行りしたのは、どうかと思いましたが・・・