ジャイアント馬場のDDT

昭和を代表する有名レスラーと言えば 真っ先に思い浮かぶのが、アントニオ猪木・・・そしてジャイアント馬場。

他にも有名選手は居ますが、この2人はまず外せないのが多くのプロレスファンの意見でしょう。

 

昭和のレスラーだけに、プロレスを覚えた時代も自らのスタイルを確立した時代も当然昭和なので、得意技も当然ながら昭和の技となります。

平成育ちの選手ともなれば柔軟に、色々なスタイルを取り入れたりもするのでしょうが、昭和の選手に関しては、保守派と言うか頑なに自分のスタイルを守ろうとする傾向にあります。

それは信念を持っていると言う意味では、良い部分でも有るのですが、時代が進むにつれて古臭いイメージを持たれてしまうのも事実。 

 

どちらが良いと言う訳ではありませんが、昭和の選手は新しい物を取り入れる事は、極力無かったと思います・・・そう考えていたのですが・・・ちょいと驚きの選手の驚きの新技投入がありました。

 

その選手とは、ジャイアント馬場 

1990年から怪我による欠場を続けており 約半年ぶりとなる1991年に迎えた復帰戦で、ジャイアント・キマラⅡを相手に、DDTで勝負を決めたのです。

馬場の復帰戦だし、馬場が勝利するのは有る程度読めていました。

しかし、まさかDDTとは・・・

 

欠場前から一度だけDDTを使った事はありましたが、まさか この注目の舞台で改めてDDTを使って来るとは思いませんでした。

DDTと言えば、日本で使用を始めたのは天龍源一郎ですが、その後 橋本真也や大仁田厚、ダニー・スパイビーらによって国内に広まった技で、1991年当時としては近代的なプロレス技の一つ。

それを 昭和を代表するレスラー馬場が、使用するとは全くの予想外でしたが「どこも傷めずに、それでいて効果的なフィニッシュはないかと思った結果がDDTだった」とコメントしたのを見て 妙に納得してしまいました。

 

確かに、身体に負担の掛からない技ではありますからね。

スピードこそありませんが、上背があるだけに説得力充分な一撃だったし「良い技だな」とも語っており 馬場はDDTを気にいったようです。

 

保守派の代表格みたいなイメージだった馬場が「良い技は良い技」として柔軟な発想で平成の技を取り入れたのは、少し意外でした。

しかも この時の馬場は53歳。

この年齢で新しい技に、チャレンジする姿勢も素晴らしいです。

 

そう言えば天龍源一郎が、雪崩式フランケンシュタイナーやスパイダージャーマンを披露して周囲を驚かせた事が有りましたが、あの柔軟な発想と行動力は師匠・馬場譲りだったのかも知れませんね。

 

馬場のDDTは、通称ジャイアントDDTとも一部では呼ばれていましたが、馬場のこの技は、頑固でガチガチの保守派だと思っていた ジャイアント馬場と言うプロレスラーのイメージを大きく変えた技でした。