レインメーカーショックが巻き起こった日

現在の日本プロレス界は、新日本の一人勝ち状態になって久しいですが、暗黒期と呼ばれた時代がありながらも新日本が、V字回復を果たし大躍進した理由を考えてみると

2012年2月12日

たった一人の男が巻き起こした 俗に言うレインメーカーショックが、大きな要因でしょう。

 

前年の2011年は、正に棚橋弘至の時代でした。その年の東京ドームで、IWGPを手にして一年に渡り高いレベルでの防衛戦を勝ち抜き2012年の東京ドームでは、遂に当時・永田裕志が持っていた連続防衛記録を更新してV11を達成したのです。

 

このまま棚橋政権は、続くと思われました。

しかし棚橋がV11を果たしたこの日に、海外遠征から凱旋を果たしたオカダ・カズチカが、棚橋の前に立ち塞がり挑戦表明を果たします。

オカダの帰国戦は、お世辞に良い試合とも言えなかったと思うし フィニッシュとなったレインメーカーも初期型はイマイチな技だった事もあり「IWGPに来るには、まだ早いよ!」と言うのが正直な感想でした。

この時点では、棚橋が若手に胸を貸してやって良い試合をしてあげた上で、手堅く王座防衛というのが、大方の予想だったと思います。

 

前哨戦で、オカダが棚橋からまさかのフォール勝ちを収めるも これで本番が少しは盛り上がるかな?と言う位で、まだまだ期待はしていませんでした。

 

この前哨戦でのフィニッシュのレインメーカーも帰国戦のとは、うって変わって現在のラリアットの形に改良されており オカダも工夫してるんだなと言うのは感じましたが、当たりが浅かったので、やはりまだまだな印象。

あれで、あの棚橋が3カウントを取られたのが、不自然な位でした。

 

しかし運命の日 いざ本番のタイトルマッチを迎えると大半の予想を覆す激闘に。

最初の内は「オカダもなかなか やるじゃないか」と言った感でしたが、徐々に「あれ?オカダって普通に凄くない?」と言う感じになっていき終盤には、絶対王者と互角以上に渡り合う挑戦者

そして最後の最後に、ヒットした必殺のレインメーカ!

半回転する棚橋の体

明らかに、帰国戦や前哨戦で見せたレインメーカーとは、違います。

 

それでも 棚橋がここから逆転するだろうと思ったら まさかの3カウント

驚きに包まれる場内もどこ吹く風とばかりに、涼しい顔で、棚橋を見下ろす新王者オカダの姿が、そこにはありました。

誰も予想しなかった新スターの誕生した瞬間。

 

単なる威勢の良いだけの若手だと思っていた オカダのまさかの王座一発奪取。

当時の棚橋は、既に日本マット界のトップ選手だったので、この王座交代劇は、新日本のみならず プロレス界にも大きな衝撃を与え この出来事が、後に”レインメーカーショック”と呼ばれる事となります。

 

この時点では「まぐれだろう」と言う声も確かにありましたが、その後の防衛戦で”まぐれ”でも”威勢の良いだけの若手”でも無かった事を自分の力で、満天下に知らしめます。

そのまま更に急成長を続けるオカダは、棚橋や中邑と並ぶ新日本の看板選手となるのは周知の通り。

そして ここから新日本の黄金時代が始まり 新日本は業界の盟主の座を取り戻し日本マットで、完全な独走状態に入っていきます。

 

この新日本のV字回復は、勿論オカダの力だけではありません。

ここに至るまで営業活動を始めとして リングの内外を問わず支えてきた各選手、スタッフ

レインメーカーの踏み台となった棚橋やこの時期に、新たな親会社となったブシロードの巨額の広告費の投入

暗黒期を支えてくれたユークス

 

その全てが、新日本の繁栄に繋がった事は言うまでもありませんが、目に見えて大きなのはオカダ・カズチカと言う若くて格好いい新たなスターが誕生した事でしょう。

新日本にとって この時のオカダのトップ戦線投入は、一つの賭けだったかも知れませんが新日本は、見事にこの賭けに勝ちました。

もしかしたら賭けと言うよりも 新日本首脳陣には、最初から勝算があっての事だったかも知れません。

しかし ここまでの急激な世代交代が成功したのは、歴史を紐解いてみてもレアなケースかも知れませんね。

 

このレインメーカーショックと言う事件は、新日本プロレスは元より ひいては日本のプロレス界を大きく動かした大事件でした。