三沢光晴のフェイスロック

三沢光晴が虎の仮面を脱いで、超世代の旗手としてトップ取りを宣言したのは、1990年。

当時の全日本のトップは、ジャンボ鶴田やスタン・ハンセンと言った三沢よりも大きい相手達ばかりでした。

三沢の持ち技としては、タイガードライバーやタイガースープレックスなどタイガーマスク時代から使い続けてきた技が主で、どれも巨漢選手には仕掛け難い物ばかりでした。

実際に、最後まで鶴田やハンセンには、一度もこれらの技が成功した事は無かったと記憶しています。

 

三沢にはエルボーと言う武器も有りましたが、当時はまだそこまでの説得力は無く 繋ぎ技としては有効だった物の必殺技と言える程の技では無かったです。

そこで三沢が、スーパーヘビーを相手に戦う為に、編み出したのが片腕を足で固めてから反対方向に捩じりつつ顔面を絞めあげる 変形のフェイスロックでした。

 

これなら体格は関係ないし 確かに有効ではあるんですが正直 鶴田やハンセンがギブアップしたのを観た事が無かったし そんなイメージも沸かないので開発した当初は、これで勝つのは無理だな・・・と思ってました。

実際に田上明やカンナムに、フェイスロックで勝つ事は度々あっても鶴田やハンセンからは、フェイスロックで勝つ事はありませんでした。

まぁ 当時の三沢はまだ鶴田やハンセンに、丸め込み以外で勝った事も無かったんですが・・・

 

しかし1991年に行われた世界タック選手権

三沢・川田vs鶴田・田上

日本人タッグの頂上決戦とも言える一戦で、三沢が何と執拗なフェイスロックで、鶴田から完全なギブアップを奪ったのです!

これには驚きました

まさか あの鶴田がギブアップするとは・・・

 

鶴田のキャリアで唯一のギブアップ負け。

これまで まぐれとも取られかねない クイックでしか鶴田に勝った事の無い三沢でしたが、この時 初めて鶴田の口からギブアップの言葉を吐かせた事で、本当の鶴田越えを果たしたのです。

結果的に、後に鶴田は病気で戦線離脱する事になるので、全盛期の鶴田にここでタッグと言えども勝っておいて 本当に良かったと思います。

三沢ほどのレスラーが鶴田に、クイックでしか勝った事も無く棚ボタ式で、世代交代と言うのは、三沢の汚点にもなりかねませんでしたからね。

  

ただ残念なのは、このままフェイッスロックの価値が大きく上がっていくのかと思いきや 鶴田離脱後の全日本は、四天王時代に突入し 関節技などのギブアップ決着は少ないスタイルになっていくので、フェイスロックの価値が上がるどころか、逆に完全な繋ぎ技になってしまいます。

これは非常に勿体なかったです

この頃の三沢は、エルボーに更に磨きをかけて 大型選手からフォールを奪える技にまで昇華させていたので、フェイスロックに頼る必要も無かったと言う事情も有りますが、それにしてもフェイスロックも必殺技として併用して使って欲しかったな・・・とは思います。