小橋建太「もし俺に何かあっても三沢さんを恨まないでくれ」

1990年代からプロレスを見てきた人なら 当時の全日本プロレスの激しさは、殆どの人が知っているでしょう。

華やかな新日本と激しい全日本

勿論 新日本にも激しさ 全日本にも華やかさはありましたが、これが一般的なイメージだったと思います。

 

全日本の中心に居た四天王

彼らの闘いは、日に日に激しさを増していき 過激化の歯止めが、どんどん利かなくなっていきます。

その中でも三沢vs川田と三沢vs小橋

特にこの2つの四天王対決が、他団体ファンでも認める凄まじさで、正しく四天王プロレスを象徴する戦いでした。

 

感情の戦いでもあった三沢vs川田と違って 互いに、リスペクトしあっている兄弟分の様だった三沢vs小橋は「スポーツライクな潰しあい」とでも言うべきか、互いの技術を信頼した上での命を削りあいを試合の度にやっていました。

断崖式タイガードライバー

タイガースープレックス85

タイガードライバー91

エメラルドフロウジョン

オレンジクラッシュ

ダイビングギロチンドロップ

バーニングハンマー

普段は滅多に出さない奥の手と言える技も この対戦では、惜しみ無く繰り出されるので、それこそ物凄いダメージを、体に蓄積させていたと思います。

 

1990年代の両者の対決で、最も名勝負と名高かったのが、1997年の当時・小橋の持つ三冠ヘビー級をかけた一戦。

今まで幾度と無く激闘を繰り広げた両者だけに、今回も凄まじい闘いになるのは、容易に想像できましたが、試合の数日前に、小橋は母親に電話してこう言ったそうです。

 

「もし俺に何かあっても三沢さんを恨まないでくれ!」

 

「あれだけの試合をしていたら何が起こるか分からない」と言う覚悟は、常に持っていたんでしょうね。

大袈裟では無く 命を賭けて三沢と戦う覚悟を決めていたと言う事です。

そう思っても当然な位の激闘をこれまで何度もやってきたし、今回もやはり凄まじい試合でした。

 

最後は、三沢の渾身のランニングエルボーで小橋は敗れ 王座を失うのですが、魂のこもった一戦でした。

どんどん過激になっていく闘いには、賛否両論も勿論あるでしょう。

2003年の最後の対戦まで、2人の闘いは進化を続けていきます

三沢の事故以来 危険な技の応酬には、批判する声も確かに増えています。

 

“万が一”を覚悟せざるを得ない程の闘いをしなきゃならない事情が、当時の全日本にはあったのですが、プロレスは八百長だの言われた時代にも 格闘技にも決して負けないレベルで、彼らは命を賭けて闘って来ました。

命を賭けてリングに立つ

それだけで充分に、凄い事です。

 

勿論リング上での事故や 後遺症が残る様な怪我は起こって欲しくないですが、当時の四天王の闘いには、間違いなく我々は興奮したし感動を貰いました。

四天王の危険な攻防が罪だというなら、ファンも同罪でしょう。

四天王プロレスを求め エスカレートさせていったのは、当時のファンの要求なのですから 四天王にだけ批判を浴びせるのは、お門違い。

 

四天王の闘いを見て 感動したファンや勇気を貰ったファンが、居る事も忘れてはなりません。

ファイトスタイルの好き嫌いこそあれど、今でも四天王はリスペクトしています。