武藤のバク進が始まった日

1995年5月3日

この日は、武藤敬司が橋本真也を撃破し IWGPヘビー級王者となった日でした。

 

単なるベルト移動ではありません。

武藤にとっては、ここに至るまでは苦難の道のりでした。

同じ闘魂三銃士で言うと、蝶野正洋は既にG1を3度優勝。橋本は、IWGPを連続防衛しミスターIWGPの称号を得ていてる状況。

武藤はと言うとグレート・ムタとしてIWGPを巻いている物の素顔では、未だ無冠。

天才と言われながらも実績的に、遅れを取っている不本意な状態でした。

 

そんな中 2月に、スコット・ノートンとIWGP時期挑戦権を賭けて戦う事になったのですが、当時の武藤にとってノートンは、最も苦手な相手。

これまで三度戦い一度も勝った事の無い相手です。

 

そして この日もノートンは強かった。

武藤はどんな技を繰り出しても まるで通用しない所か、焦りからかムーンサルトプレスも目測を誤り外してしまうと言う普段の武藤からは、考えられないミスをしてしまいます。

完全に打つ手のない武藤は、リング上で打開策を必死に考えますが、場内の武藤コールも空しく パワースラムで敗れ去ってしまいました。

 

 

この敗戦で、浮上の目を失った武藤は、大スランプに陥る事になり その後のシリーズでも野上彰やマイク・イーノスと言った格下の選手にもフォール負けを喫してしまう始末。

精神状態のせいか「同じ技を食らってもいつもりダメージが大きいんだ」と完全に、武藤は自分を見失ってしまいます。

 

そして自信を失った武藤は、姿を消しました・・・

 

その後も橋本は、天山、ノートン、リーガルを倒してIWGP最多防衛記録を築き 更に独走体勢となっていきます。

 

約一ヵ月後 髭を蓄えた武藤が、公の場に姿を表しますが、未だ答えは見つからず「プロレスをするのが怖い・・・」とまで武藤らしからぬ弱音。

そんな状況にも関わらず新日本プロレスは5月3日に福岡ドームで、何と武藤のIWGP挑戦を発表しました。

 

田中リングアナ曰く「今年は武藤をプッシュしていく」

言わなくても良いのに、こんな事までハッキリ言っちゃう物で当然の如く 周りからは、反発もありました。

武藤本人も「有りがた迷惑」とまで言ってしまう位に、リングに上がる事に抵抗を感じており「このまま引退してしまうんじゃないか?」と本気で、心配になった位です。 

 

ですが武藤とて誰よりもプロレスを愛している男

プロとして ファンの為にも復帰する事を決意します。

 

橋本の絶好調ぶりと武藤の絶不調ぶり

比較するまでも無く 橋本が圧倒的に有利でしたが、この日の武藤は明らかに、いつもと違いました。

これまで感情を出す事も滅多に無かったのに、この日は所々感情を爆発させ ミサイルキックにしても今までには無い位に、重い一撃で橋本フッ飛ばします。

 

武藤の中で、何かが吹っ切れたのでしょうか

フィッシャーマンDDT

垂直落下式DDT

橋本の得意技を巧みに、切り返してドラゴンスープレックスからのムーンサルトプレス2連発!

 

武藤が勝ちました!!!

 

大スランプを経て武藤が、ようやくIWGP王者となったのです。

橋本も最強王者だったので、武藤も歯を5本も折ってしまう代償を負っての薄水の勝利でした。

 

しかし試合後 武藤は、マイクを持ってリング上で力強く言いました。

「今日を期に新生・武藤はバク進します!!」と!!

 

この日からの武藤のバク進は、周知の通り

G1優勝 高田延彦撃破 MVP獲得と

1年を通して新日本のエースと活躍していく事になります。

 

この1995年は、武藤にとっては地獄と天国を見た一年だったでしょうが、武藤のキャリアを語る上で、最も欠かせない一年だったとも思います。

 

この時の武藤のバク進ぶりは、物凄い物がありました。